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信心の山登り

令和3年10月23日(土)

約半年前の職場での出来事です。

日勤・夜勤の勤務交代時、ある先輩から怒鳴り散らされました。原因は、机に置いた書類の「置き方」が違っていた、と言う事…。
つまり、私が勘違いして横にして置いていたのが、彼にとっては「とんでもないこと」だったようで、それで延々と(小言ではなく)大言になったわけです。
その日は夜勤明けで朝寝をしようと思っていたものの、その件でどうも腹に据えかねて、結局寝ないままになりました…。

〇   〇   〇

机に置いた書類が、横か縦かであれだけのお叱りを受けたのは、生まれて初めてです。
実際の仕事では、横に置こうと縦にしようとも全く何の意味も無い下らないそんな出来事なのですが、彼にとってはそれが決定的に気に入らなかったのです。
怒鳴られたこちらとしては、腹が立つやら情け無いやらで…。

しかし、私も末端とは言え一端(いっぱし)の創価学会員。こんな事で負けて堪るか!!と決意し、でやはり最終的には「お題目」。
いつもの如く結局は「信心で乗り越えるべき」という、なんとも普通の決意と行動とあいなった訳です。

その私流の「普通の乗り越え方」を箇条書きにすると、こんな感じ…。

  • 決して感情的にその出来事を捉えず、理論的に先ず真正面からその問題に向かい合う。
  • 真っ直ぐに物事を自分の事として考え続けることは、非常に辛いことです。でも、辛いからと言って別な事で気を紛らせたり、またストレス解消だと言う事で運動やそのほかのことに逃げるのは、結局「当の出来事」の解決からは遠のくばかりです。
  • 当然のこと「題目」を中心に進めるべきです。題目から離れては「自分の解決法」は決して見つけられません。
  • 辛い日々です…。常識的には他人のせいに出来る問題を敢えて「自分の問題」として捉え直し、そして「自分の解決方法」を考え出す事は。

さて、あの「激怒・怒鳴り散らし事件」から半年程経ちました…。
つい数日前に、彼(か)の怒鳴り屋さんから又例の如く文句を頂きました。それも私の専門の分野の「暖房」のことについてです。
彼はボイラーのことなど全くの素人ですが、私に向かって(実際はうつむき加減ですが…)ブツブツ批判を呟いたのです…。

さて、以前の私であれば、又々腹も立ったろうし、更なる不条理さに2・3日程は悩んだでしょうけど、今回は、…確かに彼のいつもの理不尽さには向かっ腹が立ちましたけど、しかしただそれだけです。
後に残った彼への思いは、前回の彼の感情的発散のお陰で今の自分に「耐性」が出来たわけで、彼に対しては「感謝」と、そして彼自身の人間性への「哀れみ」……。

……もう数十年前になりますけど、先生が学会員の信仰での強さを、山登りに例えたことがあります。

登山の初心者は一合目迄行くことがやっとだったのが、繰り返して行くウチに結局頂上まで行ける様になる、と言う信心の体験の例え話です。
その頃は、その理屈は理解出来てましたけど、さて実際の話になるとさっぱりな感じでした。

以前の彼に対しての私の右往左往状態は、先生の話す「登山初心者」だったようですが、今回は信仰体験で耐性(脚力が強化)が出来たわけで、彼の言葉に殆ど左右されなくなったと言う事になります。
更に話すと、以前は本気で嫌いだった彼の事も、今は自分にとって「善知識」以外の何物でもないとそう確信が出来たことです。
彼が居たから、そして彼がああいう態度を取ってくれたから今の自分がある、そう感じるのです。
勿論人間ですから、言われたその時点では感情的には「ムッと」します。が、それはその時だけの感情で、半日後にはもう悩みもしなくなるのです……。

〇   〇   〇

日蓮仏法は「続けてナンボ」のものです。
辛いからと言って簡単に途中放棄する「学会退転者」「覚醒者」、そして「学会中傷・批判者」達にはこの「事実」が全く理解出来ませんし、多分数億年程経っても理解不能の連中なんでしょう…。

……なんてことを考えたりする、今日この頃です。


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