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バリ活だった私が仏界から遠ざかった理由

私ももう20代後半。
私の周りの友達は大半結婚をして育児をしたり幸せな家庭を築いている人達が多い。

今年の夏に彼から結婚しよう。とプロポーズを受けた。(略)
でも…うちの実家は“創価学会”、すんなり結婚話が進む事は難しい事を私は解っていた…」(2011.12.28)

まるで悲劇小説の出だしの、そんなブログの冒頭文。
ブログ主の彼女は夢羽さん。彼女はこんな見出しをブログの表題の下部に載せています。

バリ活だった私が創価から遠ざかった理由…(三記事分)
私は学会三世。こんなにも創価が嫌になるとは考えてもいなかった過去。もう昔には戻れない

学会活動家にはもう戻れないというその理由って、一体何なのでしょう…?

〇   〇   〇

覚悟は決めていたものの…私自身自分の両親がどんな反応をして、どんな事を言うのかと少し予測は出来てるものの(、やっぱり心の中では)緊張していた

ブログ主の夢羽さんは、自分の結婚を母親に伝える決心をしました。
自身も昔は活動家だった訳で、未活動の未来の旦那さんに対しての「折伏」を、今現在自分が行っていないと言う話題を結婚話と同時に両親に報告すると言う事が、それが親との間にどんな修羅場になるのかはやはり予想はできてはいました。

「…まずは私一人が実家へ行き、両親へ結婚をしようと思うという話をしに行った。
その日父親は会合に出掛けていた為、母親に軽く話をしてみた

父親はかなりの活動家だったようで、先ずは母親との軽いジャブの応酬となりまし。

私…『お母さん。私彼に結婚しようって言われたんだ。』
母…『そうなの!?あら〜あんたもそろそろ結婚する年齢だもんねぇ〜良かったね』と凄く喜んでくれました。

(さて、)ここからが学会(の話)
母…『彼のご両親はうちが学会だというのは知っているの?』
(私の心の声…)やっぱりね…そこに触れるよね…

緊張感のある二人の対話です…。
でも、彼女も活動家の経験者、どんな攻撃が来るかはほぼ予想の内。

私…『知らない。面倒な事になりそうだから言いたくない…。』
母…『……。でも後から相手のご両親に知れた時…、あんたが傷つくよ…?相手のご両親も何で最初に言ってくれなかったんだってなるかもよ…?』
私…『でもお母さん…じゃぁ私は学会の人じゃないと結婚は出来ないの?』
少し強い口調で言ってしまった。
母…『……そうじゃないけど…解ってもらえる人…本当はね、あんたと一緒に旦那さんになる人にも……難しいね…』
そう言って
(母は)黙ってしまった」

 こんな話の流れになるだろうことは分かっていたものの、やはり現実としては辛いものがあります。
もっと別の、楽観的すぎる方向に話が行ってくれたらよかったのにとも思いますけど。でもね、やっぱり創価学会ってところは……。

予想は的中だったけど私は母親にそれ以上言えなくなってしまった…。
父はその日帰りが遅かったので、改めて実家へ来ると母に伝えアパートへ戻った」(2011.12.28)

父親との会話のなかったことを喜ぶべきか、それとも…。と言うアンビバレントな感覚に苛(さいな)まれながら、彼女は彼の住んでいるアパートに帰宅しました。
後ろ髪引かれる思い、とはこう言う事なんでしょうか。

自分が創価学会員である事にこれほどの後ろめたさを感じるなんて…。
学会なんか消えてしまえばいいのに。

「(略)それから3日経った頃、母から電話が来た。
二人で話がしたいなんて初めて言われたから、少しびっくりした。(結婚話は兎も角として、私は学会員として)母がどう思っているのかをちゃんと聞きたかった(ので)翌日、母と私は喫茶店で話をした

やはりこの事は有耶無耶には出来ません。
キチンと自分の気持ちを親には伝えなければ、私たちは真面(まとも)な結婚など出来る訳ありません。
そんな、ある意味決死の思いでの実の母との対決です…。

私は(母に)まず、彼のご両親は学会に対して良く思ってない事を伝え、彼自身も学会を毛嫌いはしていないが、結婚をしても絶対に学会に入りたくないと(思っていると)言う事も伝えた。
そして私は彼の気持ちを尊重したいし、今後彼に勧誘的な事も一切しないとも伝えた。

熱心な学会員さんからすれば私が言った事は間違っているし、非難されても仕方ない。

でも、私は間違っていないと思ってる。
嫌だと言う人に、迷惑だと思っている人に学会を強要する事や迷惑な選挙活動などが広宣流布ならば…そんな宗教(なんて)私は必要ないと思う。

今の学会はそんな事ばかりしているから嫌われている事を学会員さんはよく理解した方がいい

彼女の話すこの折伏に関しての考え方・行動の仕方は、日蓮信仰の「肝中の肝」となります。
多分ここで単なる宗教教学を勉強しただけの学会員と、本当の実践の教学を学ぼうと努力した学会員との「格差」が明確に出てくるところではないかと言えるのです。

彼女は常識的には正しい考え方の人だと言えます。
創価学会の人間は人の幸福を願っているのだといいながら、同時に何故その人に対して迷惑ばかりをかけ続けているのだろうか、と悩むのはとても正常な感覚の持ち主だと言えます。

母は言った。『そっか…そうゆう間違っている事をしている人もいるね…。どうして座談会とかで幹部に伝えなかったの…?』

私…『お母さんもそうだよ。』(とそう)唐突にはっきり言ってしまった。
母もそんな学会員さんは間違っているって言っていたのに、自分も同じだと言われてショックだったと思う。

母は凄く悲しそうな顔をした…

彼女は自分の「社会常識」の考えを母親に突きつけました。
そして、更にこう嘯(うそぶ)きます…。

悲しい事に自分自身が間違っていると気付いていない学会員さんが多いです…

同じ日蓮教学を勉強しても、単なる「教学のお勉強」と「実践の教学」との違いの巨大さが、この彼女のこの思いに決定的に現れています…。

彼女も女子部時代はかなり教学を勉強したと想像します。
しかし彼女の御書の勉強も、やはり単なる「文字面だけの勉強」で終わっていたようです。
ギリギリ本気の土壇場にきた時に、この二つの違い・落差が出てきてしまったのです。

私も(以前は母と同じく)そう(言う考え)だった。
一度会合などに誘って来てくれた友人に、断われても何度も会合に誘った…。

“今は解らなくてもきっと友達も学会の素晴らしさに気付いて必ず幸せになってくれる。私は友人の幸せを心から祈っているから。”(、と)」

全くの赤の他人の心の中に、自分と全く同じ「仏界」と言う境涯が存在しているのだ、と言う事を本気の本気で実感できるかどうか。

これは、日蓮大聖人や先生の話されたその言葉の数々を、単に上っ面勉強しただけで身につく代物ではありません。
彼女の立場から話すと、彼女にとってこう言う背水の陣に立った時、その時に傷つきながらも命を賭けてそれらの大事なお言葉を一つ、またひとつ、自身の命の中に刻み込んでいく作業を言うのです。

そのたった今」それが出来ない人が、いつ出来ると言うのでしょうか?

〇   〇   〇

本当に友達の幸せを祈っているなら、もっと大事な事に気づくべきなのに…。
相手の気持ちなんて全然考えていなかった…。

お母さんごめんね。傷つけたいからじゃなく、お母さんなら解ってくれると思ったんだ

でも、「他人の幸せを祈る」と言う行為を、そんなに簡単に考えるべきではありません。彼女はこの事を、余りにも安易に考えていたんだと感じます。
本気の血を流す程の他人への思い。こんな厳しい行動など簡単に自分の心に芽生える訳はないのです。

人を幸せにしようという本当の気持ちとは、自身の仏界から出てくる気持ちです。仏界湧現ほど難解中の難解なものは、他には決して見つかりはしません。
大聖人、そして池田先生の数々のお話は、その事を常に念頭に置いて聞かないと、結局彼女のように「いざ」という時にはこう言う軽薄な考えに陥ってしまうのです…。

人の幸せを願う宗教なら、もっと大切な事に気付いて…」(2011.12.29

彼女はこう言ってこのブログを終えました。
彼女は「もっと大事な事」と話します。
しかし、彼女自身がその本当に大事な事に気付くのは、果たして一体いつのことなのでしょうか……


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