例の如きの「創価学会の真実」

当ブログの数記事は、過去にはMonLinGenでも取り上げたことがあります。
まあ、普通の学会批判で、普通に批判者からの洗脳を受けまくって、そして同じ泥水の中に住んでいる同僚達の記事をコピペ→創作記事作成…と言う感じの記事だったような記憶があります。

そのブログ主が、ある事情でブログ終了と相成りました。(2021年1月4日記事にて)
理由はここでは記しません。興味のある人は彼の記事を読んでいただければ理解出来る事ですし、またその事についてのコメントもここでは一切差し控えます…。

今回は、そんな彼の記事の中の「人間革命」への批判に対しての逆批判を行います。

真実の幻想と創価学会…「今更ながら…」(2017年4月16日記事分)

〇   〇   〇

「自己紹介
クロと申します。創価学会2.5世。
信心も活動もしたことのない、母親が学会員なだけの外部感覚で育ちました」

当ブログは、結構有名どころの学会批判サイトでしたので、知っている人もいるやも知れませんが、一応お温習(さら)いとして上に彼の自己紹介を載せておきます。

ブログの彼は、かつて創価学会に所属していたとは言え、全く活動も何も、そして信心の何たるかも全く知らず、更には知ろうと努力する事もしていませんでした。
そんな状況の中、「創価学会の真実」というものを彼は当ブログで騙(かた)りに語ってきた、と言う話になります…。

その彼が「人間革命」という言葉に飛びつき、そして彼流の講釈をブログで垂れ流しているのです。
要するに、「何をか言わんや…」的な「お話」です。
彼は「人間革命」という宗教理念をこう話します。

「基本中の基本である学会用語「人間革命」。
「師弟不二」と双璧を成すくらい有名な用語ですね。

細かい説明はいらないと思いますが、まあ人格とか境涯とかが革命的に変化・向上する、というイメージですかね。
なので学会員さんで人間的にアレな方は「まだ人間革命の途中だから・・・」というような使われ方をします」

学会員がこう言う使い方はしている事は、確かに「事実」です。
…で?それが何か?」と言う疑問も出てきますが、対して彼はこんな話を持ってきます。

「学会では「人間革命」という単語は二代目会長の戸田氏が作った、かのように言われています。そう思っている学会員さんは多数いらっしゃるはずです。
しかし、(略)「人間革命」(と言う言葉)とは、元々は東大元総長の南原繁氏が昭和22年、東大の卒業式で使ったのが始まりです。(略)戸田氏はその言葉に惹かれたのか、ともかく自分も使う(小説のタイトルにする)ようになったのです。

南原氏は勿論学会員ではありません。キリスト教信者だとか」

…だから戸田先生や池田先生は「パクリ人間だ」と言う理屈(と言うか屁理屈)を捏(こ)ねて、結局学会で使っている「人間革命」などは何の意味もないのだ、と言う話の持って行き方となっています。
で、彼のこの記事での結論が、以下の「お話」です。

「「人間革命」という教義(?)はそもそも日蓮さんとは何ら関係がない、ということは学会員さんも承知のことでしょう。創価学会オリジナルという認識かと思います。現代に合わせた教義的な」

彼は流石、「名前だけ」の創価学会員の面目躍如たるものをお持ちだと言えます。
これらの彼の話は、日蓮教学的な筋を追って語られるものでも、また信仰というものをベースに置いた談話でも全くありません。

何を学会で習ってきたのか…!
などと言う話は、彼にとっては文字通り馬の耳に念仏です。
そもそも論として、彼は生まれてからたった一度も創価学会員ではなかった訳ですから…。

と言う無駄話をしていても、文字通り無駄そのものですので、ここでは彼が批判する「人間革命」の本当の意味を、MonLinGenなりの解釈で綴ってみます。
若しかして、ここの文章には間違いもあるやも知れませんが、しかし文意はそんなにズレてはいないはずです…。

人間革命」とは要するに、「仏界を湧現し続けている人」の別謂(べついい)です。
人間革命=仏」と言う一言で表すことも出来ますが、しかしこれだと「成った人」と言う意味が言葉の奥にはめ込まれていますので、ちょっと違う感じもします。
そもそも論として「」とは常に変化しながら、休みなく向上を続けようとしている人、と言う意味です。

しかしこう言う説明だと、江戸期ぐらいまでの仏教信者にとっては理解可能のものだったのでしょうけど、現代的な仏教教学の説明にはかなり無理が出てきます。
これを誰でも理解出来る言葉に変換した一つの言葉が、「人間革命=仏の境涯に近づこうと努力している状態の人」と言う事なのです。

更に言えば、「三障四魔に負けない人」「境涯革命している人」「宿業転換を続けている人」…と言う言葉にも変換・意訳出来ます。

〇   〇   〇

ブログの彼は、上述した「仏界」「」等の現代的解釈に関しても見事に全くの「ド素人」ですし、更にはその知識の勉強の努力も一切しようともしていません。
そんな彼が、「人間革命」のこんな訳の判らない「珍解釈」を堂々とブログに載せているのです。
まあ、学会批判者達や覚醒者達の間では「大絶賛」の彼の理論なんでしょうけど、しかし常識的には「バカ丸出し」と言う評価を受けるのが、彼に対しての正しい言葉だと言えそうに思えます…。

彼のような自己満足的な人間は、ネット上の暗闇にはゴマンと存在しています。
彼等は、他人の諫言に対しての聞く耳も一切に持たず、自身のたどたどしい貧弱な語彙を駆使しながら、結局何を言いたいのかさっぱりな人間達です。

さて、情けのない彼等の話すそんな「創価学会の真実」って、一体全体どんな世界なのでしょうか…?
学会批判者のあなた、もう一度この事を考えて見ませんか……。


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