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創価の人と話す時に気をつけること

2世や3世も含めて、活動家で、創価の中に居る人達と話すときに心に留めておくこと。
熱心に(学会)活動している人のほとんどにとって、(自分の居る)創価学会は自分自身と同じくらいの扱いというか、自分の居場所であり、アイデンティティそのものです。
(それ故、学会員とて折伏相手から)正面切って学会の悪口を言われるとあまりいい気分はしません

創価の人と話す時に、気をつけること」(OMOTESANDO-ある創価大学生の日記)

ほぅ…学会員に気を遣ってのそんな言葉…。なかなか出来た人のように見えますが…。

〇   〇   〇

学会批判者達ほぼ全ての感覚から言うと、学会員から折伏や対話をされる場合必ず出てくる言葉は

「面倒臭い人間だ…」
「やめてほしいのに、まだ話してる」
「選挙時にしか来ないくせに、鬱陶しい」
「宗教なんてなんの興味も無いのに、うるさいな」

等々…まあもっと強烈な言葉も出てきますが、大体に於いてこんな感じでしょう。

因みに当ブログの創価大学生さんは、兎に角学会員に対して気を遣ってくれています。
有り難いお話なんでしょうか、それとも大きなお世話だと言うべきなんでしょうか…。

だからもし、創価のこういうところが間違っているから、とかこういうところが嫌いだから、やめてくださいと、言わなきゃいけないと思った時は、その一言は、相手の人格も攻撃してしまう一言になるということを意識して慎重に言葉を選ぶ必要があります

と続けますが、話している内容はまるで学会幹部の個人指導のようです。
まあ、当然彼も極々薄いなりにも学会の世界で生きてきた人間でしょうから、対話相手に対しての注意事項はよくご存じ。で、今回は「逆に」学会批判者に対しての対話上の注意事項等あれこれを、仲間である学会批判者達に伝えたと、そう言うことなんでしょう。

この言葉だけを読むと、成る程考えている人だな…とも思われそうですが、豈図(あにはか)らんや、彼の根本にあるものは学会員蔑視です…。
上記の言葉のあとに枕詞としてこんなフレーズが出てきます。

学会が自分自身の居場所になってる人にとっては(云々…)』

彼にとっての学会員とは、要するに学会と言う特殊な世界にどっぷり浸り、結局もがき苦しみながらも抜け出せなくなっている「(学会、宗教)中毒者」だ、と言う解釈です。
彼の言うには、学会員は学会以外の世界からは決して出てこようともしません。故に、ブログ主の彼や学会批判者達の住んでいる真っ当なる、そして正常な社会生活者とは全く別世界の住人なんだ、と言うことです。
自分自身の居場所」とは、要するにそう言う逆説的な意味なのです…。

その彼が更に続けます。

折伏にあった人は分かると思うのですが、学会の人は、批判に対しては絶対に、ひかないです。
こう返せば納得する(と本人は思い込んでる)やり方をどこかで聞い来ていることもありますが、何よりそうさせるのは、自分の居場所・家族のいる場所を批判されたことに、防衛本能が働くからだと思います』(まま)

この話は学会員から見てもまともだと考えますし、これが折伏の基本路線だとも宣言できます。
学会批判者の彼がいみじくも語る通り、学会での「折伏」とは、常に相手のことを考えながら、また言葉を選びながら、それにもかかわらず頑として反発され、そしてそれでも相手の幸せを祈りながら続けていくこと、この事が最重要事項だと言えるのです。

がしかし、とは言え、折伏の「結果」に関してはどうでもいいのです。相手の彼(女)がその後信心しようがどうしようが、そんな結末は学会員からすると些末(さまつ)な話なのです。

自分自身相手に対してどれだけの気持ちと題目を送れたか、そしてその結論として自分自身がどれだけ相手の事を考えることが出来るようになったか

…要するに、ただそれだけなのです。

普通一般的に、特に学会批判者の世界観は特にそうでしょうけど、本気で自分以外の人の幸せを祈ることなど決して出来ません。そんなことを考える余裕もないこの俗世間です。
そんな世界の中で「本気で相手のことを考え続ける」と言う人間が居ると言うこと自体不思議なことだと思うべきです。
でも、現実の創価学会員はその気持ちを本気で持っている人間達なのです…。

そんな学会に対してブログの彼はこう言う話をします。一読するととても「大人な」感じに見えますが、その実彼は学会を完全に小馬鹿にしています。

おすすめなのは、(我々学会批判者達は)大人な対応をすることです。
学会の話に真っ向勝負して、相手の生き方を否定しない。最初にあなたの生き方は否定しないけどと言っておいて、結局学会最悪じゃんみたいな話をするんじゃなくて、一度活動家の言い分は全部認めてあげた方がいいと思います。そうしたら、活動家の人も、自分の生き方が真っ向から否定されずに、少し安心して、話を聞く余裕が生まれます

若干意地悪な話をすると、彼自身、上で話したような対話態度を取りながら学会員なり一般人に対して「大人な」対話をしているのでしょうか?
疑問符が連続して出てきそうに思える彼の空しい「お話」です。

〇   〇   〇

創価と、一般社会の摩擦は、いろいろ、どろどろしたのも多いけど、この強烈な文化について、その中に居る人達が何を考えているのかについて、ちゃんと知ろうとすることで、解決の可能性が、ひょっとしたら見えてくるかも。。と信じる』(まま)

彼はこう話して当記事を締めました。
まあ、何でも貴方の好きなことを信じなさい、と言う感想も出てきます…。

上にも書きましたが、学会員と一般の人との根源的な違いはこうだと言えます。

本気で他人のことが考えられるか、そうでないか

これは現実的には巨大な違いだと言えます。
そして、その巨大な感覚の違いはその他大勢居る自己中的な人間からすると、これは多分人間とエイリアンとの差違ぐらい巨大なものなのかもしれません。
その対立で「摩擦」があるのは、ある意味当然のことなのです。

ブログの彼の言う「一般社会(と学会と)の摩擦…この強烈な文化(の差違)に…」の言葉は、当に学会員の凄さを表現した言葉だと言えるのではと、私は感じています。

彼が本当の学会の凄さを、果たしていつ頃理解出来るのでしょうか……。


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