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学会がキライなのかも

よくある、学会二世三世の運営する学会批判ブログの中の何気ない記事や言葉。
読んでみると、真面目すぎる学会員家族の、信仰へのちょっとした「失言」が見えてきます。それは善意での言葉や対話なんでしょうけど、でも、信仰の基本を未だ持っていない人に話すと、かなりヤバいことになりそうです。特に子供への話は本気で気をつけるべきだと考えます。

今回ある退転者ブログから、自身の信仰態度を再考されられる様な記事をピックアップしてみました。

そうか、もキライなのかも」(最終投稿日が2019年9月8日)

〇   〇   〇

創価2世で、バリバリの活動家だった私が、あるきっかけで創価から一気に離れ、限りなく非活動家になったのち、残渣のようなものでモヤモヤする頭の中の整理をするために開設したブログです

元バリ活さんの想い出残滓ブログです。
あるきっかけ」の具体的な話は載せられていませんが、大体想像は出来る話です。
続いて彼女の何となくのプロフィール。

私は、学会員の両親の元に生まれた創価2世ですが、物心ついたころから、「自分の家の宗教が創価学会であること」は隠さないといけないように思っていました。

でも、学会活動を断るという選択肢がなくて、誘われたら誘われるままに、会合に出たり、役職に上がって家庭訪問したりしていました。きつくてもそれは、「信心を疑ってはならない」と言われていたので、本当はしたくない気持ちを押し殺していたのかなと思います

「信心を疑ってはならない」と言うフレーズは非常によく出てくるものです。
この言葉は話す人にとっては確かに真実の言葉なんでしょうけど、しかし聞かされる人間に信心の基本が出来ていない時は、やはり話す人も本気で気をつけるべき事柄だと思います。

私は「活動していく内に信心への疑問が出てきて当たり前だ」と思っています。特に我々の行じている日蓮仏法においては、他の宗教・宗派とは別格な物ですので、先ず疑問が出てくると言うことを前提にした対話が必要なのでは、と考えています。

女子部は教学を基本中の基本に」と言う先生の話があります。ブログの彼女は日蓮仏法の教学に関してはほぼ何の知識もないようです。ましてや実践の教学とは文字通り無縁の生活をしている様です。
…が、更にもっと大事なことは、親御さんの問題もあります…。

昭和の終わり頃、私が小学校低学年で、ガッツリの流行世代です。隣の家の男の子が(ビックリマン)シールを集めていて、よく見せてもらってました。
私自身もシールが欲しかったですが、「スーパーゼウスは、他の宗教の神だから謗法にあたるので持ってはいけない」と親に言われました。さらに、雑誌の付録か何かで、ビックリマンのジグソーパズルが手に入った時も、「謗法だから捨てなさい」と言われ、「捨てるのはもったいないから、隣の子にあげる」と言っても、「隣の子が不幸になるから、あげてはいけない、捨てなさい」と言われて渋々捨てました

昭和の終わり頃と言うと大体1988年前後です。
この時代に、「スーパーゼウス」が「謗法だ!」と言い捨てる学会員が居たと俄(にわか)には信じられませんが、彼女の経験なのでそう言う事があったのでしょう。これはブログの彼女のと言うよりも、両親の信仰の姿勢、更には彼らの教学力の問題にもなりそうに思えます…。
こんな話を親から聞かされれば、確かにトラウマにもなるでしょうね。

又彼女はこんな経験談も記しています。
これは、ビックリマンの経験をした人間の、親の信仰をどう見ているかという問題になります…。

両親には、私の心が信仰から離れているとは言っていません。ただ、外部(会員以外のこと)の家に嫁いだので、表立って活動していないだけの非活と思っています。(活動家の家族に学会批判をすると、どこでも家族崩壊するくらい反発されるので、私はおとなしくしています。私自身も、信心から離れたら地獄に落ちる、と親から脅されましたからね)

「信心から離れたら地獄に落ちる」の言葉も、親からすると多分何気のないそんな会話だったのでしょうけど、子供にとっては堪(たま)ったものではありません。
文字通り彼女も、表面上は信仰深い人間として振る舞いますが、心の奥ではやはり拒否感だけが鬱々(うつうつ)と増え続ける一方だったようです。

確かにこう言う家族(特に親御さん)は、現実として結構な数は居るとは想像します。(私の母親は、彼女の親御さんの数倍の滅茶振りでしたからよく理解出来ます)
両親の信心の確信、教学の深化、体験そのものの貧弱さ…多分様々な要因もあるでしょうが、親御さん自体が自身の信仰の方向や根本をもう一度見据え治す必要はありそうに思えます。

この(自分の所属する)地区、実は何代か連続して、地区婦人部長が非活動になっちゃってます。「ここは婦人部が育たない」と草創期からのおばあちゃんは嘆いていたそうですが、よっぽど理不尽なことがあるのか、学会がおかしいと気付けるような何かがあるのか・・・いろいろ異常なことがあったんだろうなと思います

境涯革命」と言う、文字通り日蓮教学の根本の話が本気で腹に入っていないと、やはりこう言う安易すぎる話に持ってくるようです。

今更の話になりますが、創価学会の信仰の全ての活動が「宿業転換」を最終目標としています。若し、この事が彼女の心の奥の奥に入っていたら、上述した様々なブログの愚痴は全く別の内容になっていたはずなんでしょうね…。

〇   〇   〇

創価で幸せになったか?
結論からして、そうとは言えません。
幸せになれてなくても、「祈ってればいつか幸せになる」と言われ、なかなか幸せになれないので疑問に思うと「祈りが足りない」と言われる。それどころか「この信心に疑問を持ってはならない」と、疑問を持つことすら許されず、苦しむばかりです

退転者達は、須(すべから)く彼女の愚痴る「苦しんでばかり」の人生だと想像します。
そんな人に一言…。

一つの信仰(活動)を、最後の最後まで貫き通すことって、最高に大事なことなんじゃないでしょうか…?
「嫌だ」という気持ちを兎に角押し殺して、更に自分に信心の拍車を掛けて頑張り切ってみると、その後全く別の世界が広がってくると思いますが、どうでしょうか…?

「退転する」事はいつでも出来ます。先ずやり切ってみること。その結果駄目なら、後は堂々と胸を張って学会を抜け出せばいいわけです。


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