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馬鹿らしいブログのくだらない言葉の数々

創価学会に対して怒りまくっているブログを見つけました。
若し興味のある人は彼女の文々句々を読んで頂ければ、若しかして感情を共有できるかもしれません…。

『xxx』…「Cult/Souka」(カテゴリー記事集)

変わったブログ名ですが、過去にかなりの客寄せパンダ的なブログを運営していた経験を持っていて、もう今はそんな騒がしいものは作りたくないという思いで、今は余り目立たない様にとこんなブログの名前にしたようです。

ブログ主の彼女は創価学会とその活動に対してえらく「激高」しています。かなりな怒り方の、そんな学会批判です。
故に、記事の在り方は論理的な話の進め方では全くありません。ただ只管の「批判」であり、またネット上から拾ってきた「中傷」文章のコピペの連続です。

この世で今、一番いなくなって欲しい人。
それは池田大作。
あの勘違いしたカルト馬鹿がいなくなれば救われる人は多いだろう

〇   〇   〇

…かなり激しい気性のブログ主です。
でも、それでも一旦立ち止まって、こうも話します。

宗教は必要だ。
そもそも宗教、神という存在は人間が直面する死やその他理不尽な状況、自然災害など人間の力ではどうにもならない事態に対して、人間自らが作り出した救済措置だと思うからだ。

一種、アドレナリンのような脳内麻薬に等しいだろう

彼女の言う「救済処置」とは、ある意味言い得て妙的な言葉でもありますが、「アドレナリン」は少々馬鹿にし過ぎの宗教への論難です。でもそれは彼女なりの「優しさ」の表れかもしれません…。
そんな優しい彼女は、宗教の存在意義をこう解釈します…。

仏教や神道、それにまつわる様々な儀式は「忘れない為」にあるのだと考えれば私はしっくりくる。葬式、何回忌は故人を思い出し感謝を忘れない為。初詣は人間なら誰もが思う、幸せを願う心を忘れない為(にあるものだ)』

…とは言うものの、宗教に「頼って」生きている人間は彼女から言わせると「弱い人間」である、とも言い切っています。

はっきり言おう。
神の力や題目なんぞに頼らず生きている人間のほうがよっぽど偉い

彼女は信仰を持っている人間は、例外なく宗教そのものに「頼っている」人間だと主張します。
ここに彼女の、創価学会の信心への理解の無さが暴露されています。宗教というものの知識、理解力の全くの無さが顕わになっているのです。

「宗教=弱者」の構図は、日本人一般に広がっている「偏見」です。
これが「偏見」だと証明できる出来事は、歴史的にも数え切れない程存在しているのですが、彼女以下その他大勢の人間は未だにその宗教偏見に囚(とら)われたままの状況なのです。
そして、偏見感情満載の彼女はこうも話します。

嘘で塗り固められた池田像に騙され、罰論で縛られた生活をして、誰にも言えずに苦しむ。本当に信じていて自分の人生を良くする為に生きている人たちを全て踏みにじって、目隠しをして

「罰論」を話すなら先ず「初代・牧口先生を批判しろ!」と言いたくなりますが、まあそれは彼女の学会知識の遙(はる)か彼方にある新知識ですので、これは無視してあげるべきでしょう…。
嘘で塗り固められた」創価学会と言うフレーズ。彼女は一体全体「何」と「何」と、そして「何」が創価学会としての「」だと考えているのでしょうか?
答えは聞けそうにありません。
そもそも彼女は学会の事を「何」も知らない訳ですから……。

「何」も知らない彼女が、自分の彼の言葉を借りて「折伏」の批判もしています。

『苦しんでいる人にすべきことは、まず勧誘じゃない。(中略)

(そしてまた)辛い目にあった人間が、人の痛みがわかるなんて嘘だ。それだけじゃダメなんだ。それを糧に勉強して目を見開いて成長して実行して、それで初めて人の痛みがわかる。でもそれで人を救えるというものではない

彼女の言う「勧誘」とは勿論「折伏」の事です。
宗教の最大の目的は、病気の人、困っている人、精神的に辛い生活を送っている人…そう言う人々の救済です。病魔を乗り越え、困難を乗り越え、そして精神的に強くなるその解決法をそれらの人々に教え、且つその人と一緒になって「人間革命」をしていく、その為に存在する宗教なのです。
「人間革命」とは、他仏教で言う「仏界」(湧現)、そして世法で言うところの「(真の)幸福」(湧現)のことです。

彼女は理由も無く否定していますが、他人の痛みが理解出来る人間は、他人の幸福を本気で祈る事が出来ます。
病気になった事のない人間は、その病気の怖さや完治した時の感動など全く理解しようがありません。
彼女は本当の本気で辛い目に遭って、そしてそれを乗り越えた経験が無いようです。
そんな人に創価学会の本当の姿など見えるはずがありません…決して。

〇   〇   〇

そんな学会無知識の彼女が、知りもしない学会のあれこれを批判します。

『まずご本尊がコピーでその顔は設立者。・・・どんな尊いか知らんが、投げて踏みにじっても罰は当たらんかったわカス共の顔なんぞ。
どっちもこちらが本当の仏だと言い張るが所詮後から出来た新興宗教。・・・商売してるだけだっつーのがまだわからんか。
恥知らずな勧誘をする。・・・さすがに教育者という立場上他人にはしていないようだが親族は引き込もうと一生懸命。
とりあえず祈る。・・・それで何が変わった?己の中で何か変わったとしてもそれは自己満足のマスターベーションでしかない

彼女はこの愚痴を並べ立てた後に『・・・くだらない。馬鹿らしい』と吐き捨てます。
が、知ってもいない知識を並べ立て、何故その事が「くだらない」と評価できるのでしょうか?

何だか「馬鹿らしい」気持ちになってきます……。


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4件のコメント

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