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創価学会理解の限界の一つの話

創価学会への「ある種」批判系ブログとしては、かなり冷静、且つ大局的に創価批判を分析しているブログを見つけました。

創価学会のブログに騙されないコツ(6大ジャンルを網羅)

当ブログは「学会批判系」のジャンルに入るかどうかは微妙なところもあるものですが、学会肯定系と否定系の世界を、ブログ主なりにしっかり調査・分析・消化して書かれているもので、換言してみると「学会問題注意換気系」ブログ…とでも表現できそうな、そんな系統になります。

〇   〇   〇

創価学会の教えは、基本的には仏法を中心にした人間革命というテーマを掲げています

と、いきなり一般人からするとえらく物知りな表現で学会の本質を言い表します。
そして、以下の説明も冷静に行います。

『(人間革命とは)簡単に言えば、特別な人間を目指すのではなく、人生において直面するいかなる困難をも前向きにとらえ前進のバネにできる変革の生き方とも言え仏教らしい哲学的な思想が根本にあります

ブログ主の学会への理解力がこの文章でかなり把握する事が出来ます…。
この文章は、表面的にせよ、自ブログにこう言う学会活動への認識力を持った記事が書けるという事は、彼(女)はかなりの教養と常識力を持った人間だと判断出来そうです。

しかしその「常識的な認識力」は、常識人間なるが故の限界を持っています。
彼(女)は「宗教」と言うものをこう表現します…。

宗教の場合に「何が正しい、何が間違い」といった考え方は現代の科学でも立証できません

更に、

創価学会は情報統制が成されています

一般人に於ける「宗教的限界力」が、結局、この程度の学会認識力への「限界」に繋がっていくのではないかとも想像します。
彼(女)は、現代科学で立証できない宗教問題は討議する事自体が無駄・無理・無秩序…、と考えているようです。
また、学会は情報統制がなされていると言う都市伝説も、ブログ主にとっては学会という世界は旧ソ連や北朝鮮的な闇に塗れた世界…と言う印象を持っているのかもしれません…。

学会本部や学会系サイトからの学会日常の情報は、ネット上にはしっかり発信され続けてはいるのですけど、ブログ主の調査はそこまでは至っていなかったようです…。

創価学会に限らず宗教に奉仕の考え方はつきものですが、限度があるはずです。その限度が信仰心に比べ一般常識とかけ離れているため、創価学会の女子部は青春を逃してしまいがちなのかもしれません

また、

婦人部では仕事を始めるにも地区婦人部長からの許可が必要で、何故ならば仕事を始めると信心から離れ生活に支障が出る可能性があるからだそう

と言う、通常の学会活動への不確かな解釈力で綴られた記事文を読んでみるとその事がよく理解出来ます。…もったいないな、とも考えますが、しかし一般人としての学会理解からするとかなり上等な方である事も確かだと言えます。
まあ、仕方が無い事なんでしょうか…と言う感想も。

一般的な信仰生活において、宗教が生活の土台となっていたとしても生活の中心となっては本末転倒ではと感じるのは私だけでしょうか

学会信仰の基本は、信仰を中心に置いての生活が中心中の中心なんですが、やはり一般人との信仰に於ける考え方の遊離は、えらく巨大だとも言えます。
この隙間を埋める行動は、結局「折伏対話→学会活動、そして信仰への理解」の実践にしか求められないものなんでしょう…。

『(学会批判ブログを読んでの感想として。彼ら批判者達は)創価学会を脱会している訳ですから、自然と批判的なブログが出来上がってしまいます。あたかも今の自分に起きている悪いことは全て創価学会に原因があったんだという意見もありますが、賛否両論に分かれるでしょう。創価学会に限らず、自分以外の環境にだけ原因を求めるのは特別な場合を除いて賛同はできません

上記の話は非常に示唆に富むものです。(故に長い文章でしたが省略せずに掲載しました)

この批判者達への注意喚起は、批判の在り方そのものに対してのカウンターとしても十分通用出来るものです。要するに、ウダウダ学会批判だけを続けるんじゃなく「自分の責任は自分で負うべき」と言う事を言っている様に感じます。
学会批判のほぼ大半の記事類は感情論で書かれていますが、当にその状態を批判したものとも言える話です。

『(学会信仰の連続性を維持するために)こういう問題を創価学会や親が保守的に解決しようとすれば、いわゆる学校教育によって洗脳をした後に社会に送り出す以外に手はありません

ブログ主も「洗脳」の言葉をいともあっさりと使用していますが、これだけの知識力を持った人さえもこのワードを無批判に記事に入れ込むという現実を見てみると、やはりある意味学会批判者の(学会からの)「MC」や「洗脳」と言う都市伝説の物語の影響力は絶大だと言えそうに思えます。

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ブログ主は創価学会を「新興宗教」として分類しています。
その新興宗教の信仰の在り方を、

創価学会のブログに限った事ではありませんが、新興宗教の本来あるべき姿は盲目的な信仰心と言っても過言ではありません

そして信心の在り方は、

『(宗教を選ぶ場合は)言わば生き甲斐を見つけたと言っても過言ではありません。それは正しいか間違いかで選ぶのではなく、自分が好きか嫌いかで選んで良いと思うの

旧宗教は兎も角として、「新興」なるが故の信仰の在り方は、ブログ主の考えでは「盲目的」なものなんだ、と。故に信心というものは、自身の心の衝動のまま、感情論的にやっていくべきものなんだろう、とそう結論付けています…。
ブログ主はある意味知識人的な部類の人間だと想像します。それだけの人間にしても、宗教に関してはこの程度の理解力しか持っていません。

「折伏・対話」は面倒臭いものです。でも、やはりそれでも「必要」なものでもあるようです……。


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7件のコメント

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