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創価学会の「呪い」…

学会批判者の大半の行う「批判」は、例の如くの「学会知識無知蒙昧」からくる単なる「中傷」でしかありません。
いったい彼らの「批判」は論議の体(てい)を成していません。その批判論とは、「個人的感情」の高まりとネット上での同類達との相互MCを受けて作り上げた「都市伝説的井戸端会議」でしかないのです。

ただしかし、批判者の中にも正常な論理批判を行っている、又は行おうと努力している人達も、極々少数ですが存在しています。
彼ら「正常な批判」は、意外に的を得ている処(ところ)もあります…。そして、彼らはかなりの勉強家でもあり、学会関連資料にも肯定・否定両派にもよく通達している人も存在しています。
今回はそんな超極少数派の或るブログを取り上げます。

〇   〇   〇

その団体は間違っている、とは言いませんが、結構ズレテいると思います

ネットでかなりの頻度で見る創価学会批判は、結構興味本位的で、はっきり言って「貴方がた創価学会の本当の姿を知っているの?」と言いたくなる水準です

その団体」とは勿論創価学会の事です。で、下段は所謂ネット上の「中傷批判者」への逆批判です。
これを読んでみると、彼は以外に真面な人間の様に見えます。
その彼は「結構ズレテいる」学会が、何故に仏法的常識から外れているかの理由をこう説明します。

『(何故なら、単に)一介の地理学者だった牧口常三郎が(日蓮正宗の信仰を)採用して創価学会を実質的に作ってしまったことです

創価学会の信仰及び活動を「ズレている」と言い、その原因をたかが「一介の地理学者」が宗教団体を作ったからだ、と結論するのです。

歴史的にみて、当時も現在も某弱小宗門は、世俗的に「結構ズレテ」いた現実があります。その「ズレ」を、牧口先生が真っ当に正そうと死身弘法で闘った訳ですが、ブログの彼にはその事実が見えていません。勉強家で中立を維持しようと努力はしているものの、最後の最後の「詰め」が甘いようです…。
そんな彼の活躍のステージが、以下のブログです。

shinzeiのブログ』-「shinzeiの晴耕雨読日誌(1237)あの宗教団体への〝結論〟4(5)つのエラーが重なって出来た教団

ブログ名は兎も角、記事名は無駄に長く感じます。記事の表題は、無駄を省いて簡潔にした方が分かり易いのですが。
まあ、これは個人の好き好きでしょうけども…。
そんな彼はまた、日本の仏教、創価学会、そして法華経の存在をこう「説明&評価」します。

仏教が東へ行くにつれて、4回のエラーを起こして創価学会なるものが出来たと思います。(中略。所謂仏教東伝に於ける訳教、そして中国に於ける天台宗の解釈等の、現代仏教史観から批判を以下つらつら記載)

釈迦が法華経を説いたと言うのは嘘で、実際には法華経は釈迦の死後大体500年後くらいに、恐らく大乗仏教の僧侶が「御釈迦様ならこう言ったはずだ」と書いたお経で、広くとれば〝偽経〟です

この種の仏教(及び各教義への)批判は、「科学史観信者」達から必ず出されてくる論難です。
「法華経偽経」云々の話は、ここでの中心題目ではないので別の記事にてお話ししますが、彼の仏教や法華経へのこう言う批判は、その「批判」そのものが彼自身の最大の「エラー」となっている事に自身は全く気付いていません。
残念な事に彼は、科学と信仰の区別が全くつかない人間なのです…。

信仰は科学や歴史とは直接の接点を持っていません。
若し持っているというのであれば、ユダヤ教やキリスト教(特にカトリック)の信仰信条と実際の歴史事実の、あの巨大な「ズレ」をどう説明できるのでしょう…。

つまり「聖書」(新旧問わず)とは、「聖霊」を介して「神」(ヤファウェ)が記載したもので、絶対真理の書物であると言う、一般常識的には到底理解不能の「神話物語」を、その事を「事実」として信じ切る事がアブラハム宗教の絶対の信仰なんだと言う、この数千年の「信仰の歴史」を考えると、ブログの彼の「歴史観としての批判」は全く成り立たなくなります。
「法華経」の成立過程も「聖書」に似た部分を持っています。

しかしカトリックやユダヤ教信者、そして仏教徒はそれぞれの信仰をある意味命を賭けて貫いている事実が存在しています。
「信仰」とはそう言うものなのです。
そして、特に創価学会(日蓮)仏法は、そう言う信仰プラス「功徳の実感」が「信心」の強さと実感を更に(再)補強もしている現実があるのです。

彼の「法華経」の説明は個人的にも同感できますし、ある意味「法華経は”偽経”」(故にその他の大乗仏教経典も同様)だと言う彼の結論に関しても、諸手を挙げての賛成では無いにしても、特に反対すべきものではないと言う気持ちも持っています。

しかし再度確認しますが、「宗教信仰」は「科学信仰」とは別種のものだと言う事を心に留めるべきです。でないと訳の分からない「結論」に成りかねません。事実ブログの結論が「信仰」批判とは全く別種の、完全に「的」を外れたものになっています…。
こうなると単なる「学会批判」を遙かに通り越して、「宗教全般批判」に陥ってしまいます…。

…地球上に何十億も存在しているアブラハム宗教信者を、彼はたった一人で敵に回すつもりなのでしょうか?
イスラム原理主義者は結構怖いですけどね……。

それは兎も角、彼の最大のエラーは上述したものですが、記事をもっと細かく見てみると所々チョコチョコとした「エラー」を起こしている事に気付きます。

そもそも宗教、特に仏教は「例え敵でもその人の幸せを祈らなくてはならない」はずです。そこへ以て相手を題目によって呪うということは、悟りを得て仏教を開いた釈迦が戒めていることです

『そもそも宗教、特に仏教は「例え敵でもその人の幸せを祈らなくてはならない」はずです

創価学会は本来仏教では克服しなくてはならない煩悩も「煩悩即菩提」と称して肯定しています。この点でもこの団体は仏教から離れてしまっています

呪い」とはいつの時代の、一体何処の国のお話なんでしょうか?

創価学会員が、一体全体誰に対して「呪いの題目」を送ったと言うのでしょう?
勿論そんな馬鹿な話はありませんし、そもそもの話、お題目は「呪い」ではありません。
唱題とは、自他共々所持している自身の「仏界」への、お互い幸福に成る為に送るその「行為・行動」でしかありません。
それに題目は、どんなに頑張ってみたところでそれ自体「呪い」に変換される事は決してありません。

つまり、上述の彼の二つの批判の本当の学会的な「説明」とはこういうことになります。

学会批判者に対しても題目を送り続けるという事、及び病気や辛い事が起こった時には、題目を根本にその辛い事自体を幸福の状態に「転換」すると言う行為

この本当の信仰としての「理由」を、完全に真逆の「呪い」や、そして「煩悩」に対する不完全極まる「解釈」としての批判という在り方は、やはり彼は単なる「お勉強家」でしかなかったと言うその直接な証拠になる様です…。

確かに彼は「仏教の言葉」は知っていますし、また何とか理解しようと努めている人間ではあります。がしかし、その言葉の「本当の意味」そして「実践的な意味」に関しての理解度は「ゼロ」です…。

ただそんな彼にも、若干ではありますが同情の余地も存在しています。
彼は、祖母の学会に関わった経験をこう話します。

戦後から10年くらいまでの創価学会は人の家に集団で勝手に上がり込み自分の宗教を暴力的に押し付けて挙句の果てには仏壇や神棚を壊したり燃やしたりしたもんだと人が変わったように恐ろしそうな顔をして述懐していました。

(また)私や私の家族もこの団体にはさんざん泣かされました。

私自身も、創価学会員の子弟に酷いいじめを受けましたし』(途中若干の文章省略あり)

戦後のドサクサ期に創価学会は驚異的に成長しました。
その学会史の裏側では、様々な彼の祖母の話す如きの、今から考えれば反省せざるを得ないようなそんな折伏の仕方も、個々人の責任に帰しはしますが、現実として行われていました。
そう言う事実に関して、学会として言い訳出来ないところもあるでしょう。しかし、組織上そう言う経験を踏まえて、今現在は昔から比べてかなり大人しい、ある意味時代に適合した折伏形態に変わっている事も事実なのです。

勉強家の彼が、そう言う事実含めて批判的なものと一緒に勉強してくれたなら、学会の活動に関して若しかしてもっと別な見方が生まれていたかもしれません。
…少々残念な気持ちも出てくる、そんな現実です。

〇   〇   〇

そんな彼も、呪いのMCから全く抜け出せない人間でもあります。
最後にこんな話をするのです…。

今でもその連中は私を死なそうと実に〝熱心に〟題目とやらを唱えていると言います。更に救いの無いことにはその連中を周りは窘めようとするどころか「題目が上がっているねえ。もっとやりなさい」と連中を褒めて更にけしかけていると言うことです。私はこの点でこの団体の宗教団体としての致命的な欠陥を見ました

一度MCを受けると、余程の事でもないとその「偏見(MC)」を転換する事は不可能となります。
彼が偏見として持っている「呪い」と言う題目は、いつまで彼自身を呪い続けるのでしょうか……。


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