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直系家族=権威主義=創価学会

創価学会と家族問題を考える」と言う面白そうなブログをみつけました。
余り今まで見た事のない理屈をひねり回して悦に入っている、そんな「井の中の蛙」のブログです。

「ブログ紹介」(ABOUT)には、そのブログ全体の方向性が書かれているものですが、それに当たる「目次」部分の「創価学会と直系家族制」、全6記事に当「蛙さん」の創価学会に対する考え方が書かれていました。
とても頑張って書いたとは思いますが、どうにも根本の理論に「齟齬(そご)」、「勘違い」、そして「思い込み」が多くて、結局何を言いたいのかさっぱりな紹介になっています。

〇   〇   〇

管理人の彼(彼女)は、日本に於ける「直系家族」制度とそれが生み出す「権威主義」と言う二つの概念で、創価学会の発生・発展を説明しようと試みます。
蛙さんの彼はこう話します。

「…特異な家族制度の元で生まれることで、特定の価値観が身に付くのであるが、この日本は直系家族の国で、創価学会も直系家族型社会である。故にそれに対応した(異常な)価値観を学会員達は身に付けてしまう。
直系家族制度は権威主義と非常に親和性を持っている。権威主義の支配する世界の人々は、上位権威者に対しては盲従する事が日常となる。

創価学会の世界はこの二つの概念で全て説明が付く…等云々」(要約文)

直系家族や権威主義などと言う言葉を無造作に並べられると、何となく「そうかもしれない…」という気持ちにさせられます。でも彼のこの理屈は、単なる「屁理屈」でしかありません。

彼曰く、「直系家族制度」はドイツや日本、そしてユダヤ、朝鮮半島などの国々に広がっているそうです。欧州の主要な国は「平等主義」、そしてアメリカは「自由主義」の国だと話します。
欧米の家族制度に比べて日本の国は何と権威主義がまかり通っているのか…。そんな風土から権威主義の権化たる「創価学会」が生まれてきたのである、と。

そもそも論ですが、彼の話す「直系家族制度」というモノは一体どういう制度なのでしょうか…。ブログにはその基本的な定義が載せられていません。
で、直系家族制度を勝手に想像すると、「父親を絶対的な首長に置き、それ以下の人間は父親の命令には絶対服従…制度」、と言う意味で考えているのだろうと思います。それは絶対主義、権威主義と結びつきやすい。日本は昔から父親への絶対服従の制度が存在している。だから日本的な組織・創価学会は権威主義なんだ、と言う理屈です。
何となく「風が吹けば桶屋が儲かる」的な考えに見えます。
「歴史」というものを知らないと、結局自然とこう言う考えに取り付かれてしまう典型例だと言えます。

彼の思い込んでいる日本の家父長制(家族制度)は、本当は明治以降に初めて広がったものです。
そもそも日本の家族は母系社会でした。穀物生産を中心とした社会によくある制度です。狩猟民族は父系社会になり易いのですが、安定的に土地に住む事が出来る社会は、母親を中心に物事は回ります。
大和期、奈良・平安期、そして鎌倉、江戸期も母系中心の社会でした。それを端的に示すものが、国家神道の神々の最高神たる「天照大神」の存在です。この神は元々母系的な地母神から発展したものです。彼女は「女性神」なのです。
「通い婚」という言葉の存在も、日本のかつての母系社会の記憶を残しています。

当時それぞれの時代は、現代我々が想像する以上に女性の権利が認められていました。御書にも記載されていますが、鎌倉期にも寡婦の土地所有権利も立派に存在していました。
勿論、貴族や武士社会は父系中心社会でしたが、一般民衆は違っていたのです。
明治維新より列強世界に飛び込まざるを得なくなった大日本帝国は、制度として天皇制を模(も)した家父長制度を全国に拡大したのです。

つまり家父長制度とは、歴史的に見て非常に新しいモノなのです。

しかし、太平洋戦争に敗戦した時点で、日本のそれら絶対的な制度類がほぼ全て崩壊しました。アメリカの資本主義、自由主義に組み込まれたのです。

戦後に、壊滅した創価学会組織を新たに作り直した人は、戸田城聖先生。云うまでもなく創価学会の第二代会長です。日本にそれまであった制度を全て否定しきって、戸田先生は今度は日蓮仏法思想を根本とした全く新しい考えで創価学会を再創出したのです。

ブログ管理人の彼の思い込んでいる直系家族制度とか権威主義とかの話は、現実の創価学会とは何の関係もない別世界のお話です。
若し権威主義の話をするのであれば、日顕宗の「信服随従」、ローマ法王庁(神)への「絶対服従」、アメリカで実際に存在する「旧約聖書の創世神話を国家の正式な教育として採用すべき」等々の理論的な説明が出来ません。
彼はこれらの「事実」をどう「言い訳」するのでしょうか?

「権威主義」は非常にネガティブな言葉として広がっています。確かに「権威」や「権力」を利用して…と言う、ある意味「パワハラ的」な意味合いが強い言葉ではあります。
しかし、学校の先生と生徒の関係、会社の社長と平社員の関係、更には武道や格闘技の先生(コーチ)と生徒との関係は、一体どう呼ぶのでしょう?
今更武道に於ける師弟の関係をここで繰り返そうとは思いませんが、何十年選手と数年選手の上下関係を常識的に考えれば、そこに何が存在するのか、普通の人間であれば理解する事は可能です。

彼はローマ法王を「平等主義」と呼び、アメリカの「旧約聖書の話」を「自由主義」と呼びます。そしてその破綻した論理で創価学会を「権威主義」と規定するのです。

彼は学会二世の退転者との話です。二世はともかく、ブログでの学会への批判の数々は、退転者故(ゆえ)の近親憎悪の姿かも知れません。「覚醒」という言葉の誤魔化し、退転という中途半端な生き様で、尚且つ歴史認識の絶対的な不足…何もかもいい加減です。
いい加減が昂じるとこんなバカ話を堂々としてしまうんですね…。

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このブログの個々の記事には「〇〇拍手」のアイコンがへばり付いています。どうしてこんな「愚ログ」に拍手など出来るのか…。
このバカな管理人以上のバカな人間が、この世の中にどれだけの数存在しているのか、ある意味恐ろしくなる現実です…。


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5件のコメント

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