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退転義

退転者(元学会員)

創価学会は「信心の退転」を必死で止めようとします。地区の同志は勿論、幹部も入り乱れて当人の学会離れを止めさせようとします。退転者のブログではそれが、「集団で囲まれていじめにあった」などと言う表現となります。

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学会以外の宗教一般での「退転」も、やはり阻止する力は大きいものがあります。どんな組織でもこれは常識の範囲です。学会だけが特別なものでもありません。また、一般的な趣味の団体さえもその力は働きますが、それらの(阻止に対する)批判は全くありません。何故、学会の退転阻止に関してのみ非難が集中するのでしょうか?

「(退転すると)地獄に落ちる!」

と言う言葉が最後に学会員から発せられる場合も、時折あります。そのままの言葉ではないにしても、同じ様な意味の話が出てきます。
これが問題だと言えそうです。

しかし、少なくとも「元」創価学会員であったなら、また仮にも学会の教学を(寝ながらだったとしても)勉強をした人間であったなら、「宿業転換」「三障四魔」、そして「功徳と罰」の言葉の意味は知っているはずです。学会で最初の「任用試験」で習いますからね…。であるなら、「退転」という意味も十分理解している「はず」です。

確かに言葉のキツさはあるとは思います。でも、今まで一緒に活動してきた人々にとって、仲間の「退転」→「未活動化」というのは,やはり耐えられないと想像すべきです。その思いの行き場所が、「地獄」「罰」「裏切り」と言う極端な表現になるのではないでしょうか?

仏法の教義では、人間には「宿業」があります。その宿業が生活に様々な障(さわ)りを出すわけです。「障り」と言っても霊的なものが悪戯(わるさ)をするという話ではなく、自分自身の持っている「悪い性(さが)」が自分の良い生活に対しての「抵抗」を見せるのです。

その「悪い宿業」を消してくれるのが「題目」(更には仏道修行/学会活動)です。

折角宿業を「転換」すべく信心活動(学会活動)をしているのに,何故その前向きの生活を放棄するのか…、と言う彼等の思いと、言葉なのです。悪い生活に再び戻っていかないようにと。
余りにも表面だけを見て簡単に批判をしている人が多いことに,驚きを禁じ得ません。

批判と言うものは「教義の瑕疵(かし)」を責めるべきです。「宿業(教義/意味)」の何たるかを知った上での批判ならともかく、唯ひたすら「創価学会は退転者を云々…」は、やるべきではありません。その知識のない人は、そもそも批判など出来るはずはありません。

また、退転者の愚癡も、「宿業」や「題目」に関して知識がないのであれば、口を閉ざすべきです。それらの教義の深い所まで知らない訳ですから…。言われた理由もマトモに理解出来ない人間が,どうして「学会云々」が出来るか,もう一度考えてみるべきです。

何故」と言う意味は非常に大事な言葉です。

どうして学会は「罰」「地獄」と言う言葉を使うのか、その「本義」を本気で考えている人が居るのやらどうなのやら…。いつも考えてしまいます。

「知らない」と言う無感覚さは、その知らない事柄に対しては、結局「カルト」「マインドコントロール」「洗脳」と言う言葉に簡単に繋(つな)がってしまいます。それぞれは「学会」という言葉とは、実は何の関係もない言葉なんですが、一つに括(くく)ってしまうと何となく偉そうな気分になるのでしょうか…。

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ともかく、退転者(覚醒者)は騒ぎ過ぎます。余りにもウダウダ愚癡の垂れ流しです。学会のあれこれ云々する時間があれば、かつて学会で学んだことをもう一度思い出してみるべきです。

それが出来なければ、今後一切の口を閉じるべきでしょうね…。


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2件のコメント

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