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何故学会の信仰を続けているのか

これはある対話から出た記事です。対話相手は信心をしていない、又宗教のことも素人の一般の人です。その人からの疑問に対しての私の考えを,整理して記事にしました。(自分の文章はより分かり易いように変更していますが、意味内容は同じままです)

〇   〇   〇

彼からの質問

『(~略)創価学会の人が何故信仰を続けるのか。
これは私も疑問に思っているところです。
なぜ疑問かと言えば、一般会員については一方的に服従を強いられ利用されるだけの関係性にしか見えないからです。
運営者側に居る人達とそれに関連した企業の人達は、仕事ですから理由としては別でしょう(略~)』

(上記の文章には一切手を加えていません)

  • 一般会員については一方的に服従を強いられ利用されるだけの関係性にしか見えないからです』(質問者の疑問内容)

…貴方の話される「服従を強いられているだけ」の人間達が、現在日本、世界にはかなりの人数が存在しています。(私は正確な数は掌握していません)
日本人は一応置いておきます。アメリカ、ヨーロッパはご承知の通りキリスト教の国々です。特にその中の「プロテスタント」は、名前が示すようにプロテスト(抗議)する人々です。彼等は、少なくとも日本人の持っていない非常に攻撃的な、少々自信過剰の性質の人間達です。そんな自分の意見をはっきり話せる、偉く批判精神旺盛な人々が、貴方の結論付けられる(質問者の想像する学会員のように)「(創価学会から)服従を強いられる」人々なのでしょうか…。

…違いますね。

彼等は、少しの疑問でも、直接自分で疑いとする組織に対して「抗議」出来る人々です。そんな方々が、何故貴方の「想像力で構築された学会」(服従に強いられる学会員)に何十年も「服従」され続けているのでしょうか…?
結論は、貴方の疑問の答えが間違っているからです。
本当の学会組織は、日本人が身勝手に思い込んでいる「強制・服従」のまかり通る組織ではありません。欧米の人々は、学会のその本質がはっきり理解・認識出来ているから、だから今現在も学会の活動を喜んでやっているのです。

貴方(質問者)は本来であれば、どうして欧米の学会員が学会組織に対して「抗議」をしないのかという事に対して疑問を持つべきなのです。
貴方の「~しか見えない」(質問上での彼の結論の仕方)と言う想像上の「結論」は、全く間違っています。人種、思想、政治、宗教等の坩堝(るつぼ)である欧米の人間に、その「想像上の服従仮説」を当て嵌(あては)めることは勘違いも甚(はなは)だしいことだと言えます。

「現実の学会の会員への在り方」を、本気で考えるのであれば、先ず自分の学会に対する偏見を一度クリアにして、再度しっかり考察すべきです。そして出来れば、「現実の話」を中心に考えて行くべきだと思っています。

  • 創価学会の家が特別幸せになっていっているような感じは受けません。逆に重大な問題を抱えているケースが傾向的にあるような気がします

…貴方の「~(幸せな)感じは受けません」「~様な気がします」と言う、「個人的な感想」に関して一言。
貴方のすぐ隣に住む家庭の一家の事を、貴方がどれだけの「事実」を知っておられるか…。
貯金は?病気を持っているのか,健康なのか?仕事の種類は?給与は?友人関係は?…
何も知らないはずです。ましてや一家の人々が現在どれだけの「幸せ具合」なのかを云々しようとすると、途端に思考停止になるはずです。
思考停止は、即ち想像力の話に突き進みます。「多分~なんだろう」という。
創価学会の人々への,一般人からの「感想」「意見」とはそう言う種類のものなのです。

一般的にはその考え方を「偏見」と呼びます。

  • 『(何故学会員が搾取されていると私/質問者が考えるのかは、)創価学会内はゼロサム経済(搾取・収奪の関係)ですから、学会が潤っている分(搾取)、会員は疲弊してくるだろうというメカニズムが根拠です

…「~が根拠です」と言う話も、そもそもの理論が「貴方自身の想像」に基づいています。そう思うことは、「感想」「意見」としては大事だと思いますが、現実の根拠付けのない結論は単なる「決め付け」「中傷」でしかありません。本来は創価学会員からの直接の「話」「意見」を統計学的に調査すべきであるのに、貴方の「仮説」にはどこにも統計上有意なものが見当たりません。
資料・根拠は「事実」を収集すべきです。そこが崩れるとどうなっていくかは、説明するまでもないはずです。

  • 『(学会員は学会組織に対して)「依存」(状態)にあるのではないかという(質問者の)仮説です

…「共依存」という意味で言えば、若しかしてそう言う心理学的な相互作用はあり得るとは思います。でも、どんな組織でもお互いに依存し合っているのは現実世界の正常な在り方だと言えます。その中で、宗教だけが「依存」に関して潔癖であらねばならないという話は,余り平等性があるとは言えない話です。家族も会社も,そして国家も「依存」という言葉で説明出来る部分が多く存在しています。
同じ依存でも、どこから見るか,どんな考えで見るかが問題なんだと思います。偏見の目で見るのか、事実を元に正常な角度で見るのか…。見る人の、知識の量、質にもよりますね…。

学会に対しての情報量の少ない人は,どうしても自分だけの感覚で、「見たいように」見てしまうと言うのが、一般的なのではないかと思います。

〇   〇   〇

以上の話は学会の「事実」を元に記しています。これらの「学会の事実」を認める・認めないは貴方自身の問題です。でも、理解しようと「努める」ことはやはり必要なことだとは思っています。理解しようと努めるには、学会の本当の姿、事実を見る勇気が必要になります。

でも、勇気を持っている人って,少ないようにも感じますが,気のせいでしょうか…?


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3件のコメント

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