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「地涌」の読後

「地涌」(含JAN)を先日やっと読み終えました。計7ヶ月程かけての読破です。
感想を一言で言うと、この中に学会問題の解答全て(まあ…95%以上)が掲載されている、と言う事です。(「地涌」は当ブログ表紙メニューに表示)

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「地涌」は、元々青年達による宗門内の僧侶組織告発グループが、FAXを使用して宗門内部の様々な状況を毎日送り届けていたミニコミ誌でした。毎日様々な宗門の醜聞を書いていたものを、次はネット上に場を移して活動していたものです。非常に膨大な量の情報ページが掲載されています。(1991年1月1日~1996年9月10日…940号程)
ほぼ毎日の記事投稿でした。また、文字通りリアルタイムの情報です。アンチ系の「思い込み」「偏見」「想像」という最低次元の「嘘話」ではなく、当にその時点での、現場での生情報ですので、これ以上の資料は他には見当たりません。

ただ、兎に角ページ数の膨大さに圧倒されて、どこから手を付けていいのか分からなくなるのも確かです。でも、一日1P~数Pを地味に読み続けて、やっとこさ今回読破完了した次第なのです。

さて、この「地涌」には、上述もしましたが、学会問題全てが理の欠けることもなく全て載せられています。何故現宗門を「日顕宗」と呼ぶのか、偽本尊複写問題、宗門の過去と現在の歴史事実等…、更には東村山市議転落死問題や文藝春秋のいい加減さ、信平問題も、当時の原資料を基にした客観的な事実の記載です。
全て読んだ人は少ないでしょうし、ましてや、退転者/覚醒者、そして宗門/法華講連中はこんな物には目もくれないはずです。彼等にとっては真に「不都合な真実・現実」の数々ですから、読むことは自分の組織からも厳禁されているはず…。

しかし、この膨大な資料集(ある意味「学会問題の解答集」)を外しては、学会に対しての「まともな批判」は決して出来得ない、と言う事も確かだと確信しています。

「…自分の知らないことに対して批判が出来るはずはないでしょう…」

と言うボブディランの歌がありますが、その歌詞の意味を彷彿とさせる記事の数々です。

所謂(いわゆる)アンチ学会系(宗門/法華講、反学会)の連中は、自分の知らないことに関して、如何にも知っているか如く振る舞い、そして一見正当な批判の様に見える「屁理屈」「中傷」を出し続けています。比較的新しい問題を挙げると「東村山市議転落死」。これもアンチ系から騒々しく中傷・批判が出されていましたが、若し若干でも頭が働いて、少しでも考えの出来る人(要するに小学校卒業程度の頭脳の持ち主)が「当事故」の事実関係を調査すれば、これはアンチ系の如く決して騒ぎ立てる様な、そんな問題ではないと言うことに簡単に気付きます。そんな単純至極な「転落事故」を、敢えて学会が関わったという「転落事件・殺人事件」にしてしまうと言う事は、どう考えても「完全な悪意」を持っていると結論付けざるを得ません。(領収書の捏造、事故死した当人の窃盗の誤魔化し等々)

若干ややこしい問題に「フランス創価学会セクト問題」があります。今も喧々ガクガクの下らない話をアンチ系が騒いでいますが、これとてもフランスの国の宗教政策の特殊性を理解すれば簡単に納得出来る話です。(現在ではフランスでもセクト問題としては上がっていません)
これらの「事実」を読んで(当然悪意の無い「正視眼」で)、そして自分の頭で考えれば、彼等アンチ系の話している問題が、如何に情け無い根拠のない嘘話なのかは普通に理解出来ることです。

批判とは「(お互いの)事実関係」を「理解した上で」なされるべきです。ゴミの様に転がっているアンチ系で、まともに「事実」を元に当ブログに対して批判コメントを送ってきた人は、今までは皆無です。(当然の帰結、他の学会系ブログへの批判も同じなんでしょうが…)寂しいと考えるべきでしょうか、彼等は結局その程度の人種なのだと思うべきなのか…悩むところでもあります。

わたしは「批判」そのものを問題にしているのではありません。批判をするには「当問題」(偽本尊、転落死問題、師弟問題等々様々色々…)の学会での主張に対して、それ相当の「事実」を持った批判を行うべきだと話しているのです。(対抗批判)中傷だけで何十年もやり続けることは、まあそれはそれで結構な「根性」なんでしょうけど、「スポ根物」は大分寂れ気味な昨今、そんな噂話などはもう錆び付いた話題でしかありません。新鮮さも何もない話にまともな対応が出来るかどうか…。

別な方向から話すと、要するに「事実確認」が全く成されていない中傷・批判の批判が、アンチ系の学会攻撃の中心中の中心の在り方だと言えます。まあ、攻撃と言うだけの根拠もパワーも実際は無いのですが、でも一般人に対しては結構な影響力は持っている訳ですので、見過ごしには出来ないようです…。
故にこのブログで様々に書き綴っている訳です。

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知らないことは知ろうと努力すべきです。それが出来ない人間は創価学会を批判できる権利を、そもそも論として持っていないと言う事に気付く人間が出てきても、そろそろ良さそうなんですが…。


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