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「創価学会員が不幸なのか」をよ~く考えてみる

「シニフィエさんのブログ記事を読ませていただいたのですが、「幸せですか?」という問いかけは、私自身が学会員に対して最も聞いてみたい質問のひとつであり、自分のブログでもこの点について、少し書いてみようと思います」

シニフィエ氏とは、学会批判で有名なあるブログの管理人です。
彼は「学会の真実」だとして、様々にある事無い事を自分のブログに書き連ねています。
その「真実を求めて」、有象無象の実態のない学会中傷者達が彼のブログに引きつけられてはいますが、しかし、ブログ管理人の彼自身の「真実の姿」はMonLinGenでも数記事に渡って記していますので、若し興味のある方はその「実態」を調べて頂ければいいかと…。

今回取り上げるブログ管理人のたれぱんさんは、学会三世とのこと。
彼は学会信心の「真実の答え」を求めて、遙か彼岸の彼方に存在していると言われる「お話の数々」に魅入られて、そのお言葉の数々を載せています。
批判者のよく話す「学会員は幸せかどうか…」の、その「お答え」です…。

活動から離れた創価内部アンチのブログ…あなたは、なぜ不幸なんすか?

活動から遠ざかっている方や、既に退会済みの方であれば、ほぼ例外なく、「信心をやっていても幸せではなかった」と答えると思います。また、決して強がりではなく、本当に心の底から「幸せです」と答えるバリ活の方もいらっしゃると思います。
この2種類の方たちについては、特に異論はありません。何故なら、自分の気持ちに正直に行動しているからです。幸せではないと思っているからこそ創価学会から遠ざかり、幸せだと思っているからこそ創価学会の活動に打ち込んでいる。別に普通のことです」

彼は学会員の幸せの在り方の有無を、こう評価しています。
三世としては意外に冷静に、そして真面目に話を進めようともしています。
この事はとても高評価だと言えます…が。

〇   〇   〇

「問題なのは、「幸せじゃない」「不幸だ」と思いつつ、学会活動をやめられない方です(「幸せだ」と思いつつ、学会活動をやらない人もおかしいんですけど、ここでは取り上げません)。
こういう方たちが、「途中で信心をやめればこれまで積み重ねてきたものが無駄になって無間地獄に堕ちる」とか、「まだ長い仏道修行の途中であり人生の最後で勝てばいい」とか、色々な思いを抱えているのは理解できます。かつての自分もそうでしたから。
私は、このタイプの学会員さんに対して、敢えてシニフィエさんとは違う質問を投げかけてみたいと思います。「あなたは、なぜ不幸なんですか?」と」

ブログの彼が、一体誰に向けて「あなたはなぜ不幸なのか」と問い掛けているのかの疑問に関しては、多分ですが、かつての活動家で、今は学会批判系のそんな人に対してなのでしょう。
彼の学会員に対する「前提」は、幸せな学会員も居るが、しかし総じて「不幸な」学会員も大勢いるのだ、と言う事です…。
これって彼の偏見そのものだと言えそうですが、如何?

彼が「こうなんだ」と勝手に想像することは、自由です。
…ですが、単純な「決めつけ」は問題を起こします。
なぜなら、人間、特に創価学会員の長い人生の最終的な「真の結果」というものは、人生途中の中でのその場限りのたった「一コマ・シーン」だけでは何も理解は出来ないからです。
人生の最終決算とは、文字通りの意味として捉えなければ何も結論は出ないはずですが、ブログの彼はその一コマだけの「途中過程」を、「人生の結論」として話しています。

(私が)非活となった今、もちろん悩みもあります。一生付き合っていかないといけない問題もあります。
その一方で、信心をやめてから驚くほど簡単に解決できた問題もあります。
「宿業」という意識がなくなった結果として、自分のことを「信心に取り組まないと変わることができない人間」と思うこともないし、以前よりも自分のことを認められるようになったといいますか、(略)切羽詰まった気持ちは綺麗さっぱり消え去りました。
もちろん生活は充実していますし、比べものにならないほど幸せです」

 そもそも彼は、学会や先生の指導を理解も考察も一切していない人間です。
彼は先生の指導をこう要約しています。
人生の最後で勝てばいい」
しかし、彼はその指導に完全に背いて、今は学会批判者として人生を謳歌している状態です。
この矛盾は、彼が学会に於いて信心のあるべき事を何も理解しようとしていなかった、その確たる証拠になっています。

…オリンピック選手の目標は、最終的にはメダル獲得だと言えます。
普通のジョギングでもかなりキツいものです。ましてや彼等アスリートの練習は、文字通り過酷を極めています。
その練習途中のただの一コマを取り出して、彼等選手達は全く不幸なのだ、だからオリンピックは「」なのだ、と言う人間がいればどうでしょうか?
単なる「バカ」?
それとも何も知らない「クソガキ」?

ブログの彼は、要するにそんな程度の人間なのです。

最終的な幸せを求めての活動は、辛いのが当たり前です。
彼を含めた学会批判者達は、その辛い日々のほんの一コマを一瞥(いちべつ)しただけで、学会は不幸な人間の集まりなんだと決めつけているのです。

〇   〇   〇

あとね。「困難を困難と思わない境涯」でしたっけ。創価学会がよく言ってるやつ。それって、別に信心をしてなくても到達できますよ。常に挑戦しながら生きてる人って、皆そういう精神力持ってます。「どうやって乗り越えてやろうか」って、ワクワクしながら生きてる。
そういう境涯を功徳というなら、はっきり言います。別に信心で得る必要がないですよ」

彼の過去の人生は、本気で単純、且つ深みも全く何もない空疎そのものだったようです。
「(今から訪れるだろう苦労の数々を)ワクワクしながら生きる」の言葉の意味の本当の重さを彼が知る事が出来るのは、さて人生の「最終章」、でなければ結局「臨終の時」……?


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2件のコメント

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