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大岡誠人氏との対話部屋(2021.9.1~)

大岡誠人氏、そして当ブログ管理人の両人との宗教対話を行っています。
令和3年9月1日から開始されました。

元々の大岡氏からのコメントは下記の記事の書き込みからです。

頑固一徹・創〇学会の執拗さ

いつも作成している外部ギャラリー部屋は現時点では作成していません。
若しROMさんギャラリーが集まって、そして「RAMさん希望」も増えてきたら作成する予定でいます。

で、「頑固…」での大岡さんとの対話は令和3年9月6日11時59分時点で終了し、こちらの部屋に移行します。

MonLinGen(2021年9月6日)


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16件のコメント

  1. MonLinGen

    大岡さんへ

    こんにちは。
    あなたに基本的な質問をします。

    あなたは世間一般の人が何故宗教を洗脳と考えているのか、その理由、又は自身の感想をお聞かせ下さい。

    私は、ある意味に於いてですけども、宗教と殉教とは表裏一体のものだと考えています。
    つまり、人間にとって宗教とはそれだけの重みと重要性を持っているものだと思っているのです。
    これらの事は(上の洗脳云々も含めて)当MonLinGenに様々に論じていますので、ここで詳細は論じません。

    で、あなたに上の二つの問題に関してのあなたの意見をお聞きしたいと考えます。
    よろしくお願いします。

  2. 大岡誠人

    何故宗教を洗脳と考えているかですか?
    質問がぼやけてますね。
    創価学会の信仰に限定した話で良いと思います。
    他の宗教は関係ないし関心も無いしそもそも全く知らないですから。
    前にもお伝えしたように自分は学会員ですから。

  3. MonLinGen

    大岡さんへ

    私は「あなた個人の意見」を聞きたいのです。
    あなたが学会だろうと共産党員だろうとも、私は全く気にしていません。
    しかし、あなたは気になるようですので、質問の範囲を限定して再度聞きます。

    学会員としてのあなたの考えとして、(又は学会員として一般的な意見としてでも、どちらでもお好きにして下さい)

    「宗教を何故洗脳だと考えるのでしょうか?」

    分かり易く説明して頂けると有り難いですが。
    よろしくお願いします。

  4. 大岡誠人

    貴方様にはこちらの意図がさっぱり伝わっていないようですね
    私は学会員であると申し上げているし他の宗教には全く関心が無いと言ってる
    にも拘わらず貴方様は「宗教を〜」と言っているのは何故ですか?
    その辺りがさっぱり理解出来ませんね
    他の宗教は関係無いです
    何度も同じ事を言わせないで下さい

    それと質問の仕方も微妙にニュアンスが異なっていますね

  5. MonLinGen

    大岡さんへ

    あなたが学会員だと言うことは重々承知しています。その件に関しては、あなたの意図ははっきり伝わっていますよ。
    私は貴方個人、又は学会員としての貴方、更には学会員一般としての貴方の意見、感想を聞いているのです。
    理解出来ますでしょうか?

    私は、貴方が学会員だろうとも何だろうとも何の興味も持っていません。
    更に、理解出来ますでしょうか?

    さて、再再度お聞きします。

    「宗教を何故洗脳だと考えるのでしょうか?」

    貴方、又は学会員としての貴方、そして或いは学会員一般が思っていると貴方が思っている意見、考え方を教えて下さい。
    分かり易く説明して頂けると、有り難いですね。

    よろしくお願いします。

  6. MonLinGen

    大岡さんへ

    追加文です。
    先に出した私のコメントが理解できなければ、

    「学会活動家を含めて、宗教活動家を、何故洗脳だと考えるのでしょうか?」

    これであれば貴方も安心するでしょうか…。

  7. 大岡誠人

    相変わらずこちら側の意図が伝わっていないようですね。
    私は学会の信仰以外には全く関心が無いと伝えている筈です。
    ですから学会以外の宗教について論ずる資格も無いし興味も有りません。
    あくまでも学会の信仰についての限定した事なら討論に応じる構えで有りますが他の宗教も含めてという事で有るならばこれにて終了という結論になります。

  8. MonLinGen

    大岡さんへ

    なかなか膠着した精神のお方ですね。これだけ話して、私の意味することを理解出来ないとは、余りにも柔軟性が……。

    まあ、それは兎も角、再々再度お聞きしますね。
    貴方の言われる

    「創価学会(又は学会)の信仰に完全限定した話で、何故学会の信仰は洗脳だと考えるのか、又は学会員がどうして洗脳されているのか」

    …それをお聞きします。
    分かり易く、具体性のあるお話をお聞きしたいと思いますので、よろしくお願いします。

  9. 大岡誠人

    これだけ話して、私の意味することを理解出来ないとは、余りにも柔軟性が……。

    それは貴方の方に問題があるのでは無いのですか?
    何とも独りよがりな方ですね
    これだけ話してとおっしゃられても「これだけ」が空っぽな内容なら何ら意味が無いと思いますけど

  10. MonLinGen

    大岡さんへ

    なかなか気難しいお人だと、正直感じます。
    でも、それをお互い乗り越えてやっていくのが本当の「対話」だと思いますので、更に改めて貴方に質問を繰り返します。

    貴方は先ず2021.8.31 7:35PM時でのコメントでこう話されています。

    「宗教活動者は洗脳されていると言われても仕方ないですね」
    (コメントより抜粋。以下同様)

    そのコメントに対して私が反論すると、こんな答えが返ってきました。(2021.9.1 8:46PM)

    「私は宗教者は洗脳者などと断定はしていません。
    あくまでも一般世間の客観的な見方としては学会員は洗脳されているというのが一般的な認識だという事です」

    と。
    この上の「宗教活動者は洗脳されている」という言葉と、「洗脳者だと断定していません」との言葉の齟齬が気になりますが、貴方はどう思われますか?

    普通、と言うか私は貴方の「宗教活動家は洗脳されている(又は意訳して、洗脳されているのではないかと考える)」の言葉は、その通りの解釈で行けば、どう考えても宗教活動をしている人は洗脳されていると取れます。
    確かに宗教活動家を私は「宗教(そのもの)」だと勘違いしたことに関しては、これは謝りますが、しかし話の流れとしては私の勘違いも許されても良いのではとは考えます。
    その次いでの話になりますが、貴方は私の質問に対してこんな受けをしました

    「何故宗教を洗脳と考えているかですか?質問がぼやけてますね」

    何処がどうぼやけているのか私には理解出来ませんでしたけど、そうであれば「限定定期な質問」が良いのではと考え、最終的に質問内容を若干変更したわけです。

    「創価学会(又は学会)の信仰に完全限定した話で、何故学会の信仰は洗脳だと考えるのか、又は学会員がどうして洗脳されているのか」

    と。
    しかしそれでも貴方の返信コメントは、

    「これだけ話して、私の意味することを理解出来ないとは、余りにも柔軟性が……」

    さて果て、一体どうすれば良いのでしょうか?

    一番最初の貴方の意見と、貴方の途中からの意見の「学会限定」を合成した、こんな質問をしますが、これだとどうなりますか?
    (「限定」の言葉は2021.9.912:08PMの貴方のコメント「私は学会員であると申し上げているし他の宗教には全く関心が無いと言ってるにも拘わらず貴方様は「宗教を〜」と言っているのは何故ですか?その辺りがさっぱり理解出来ませんね。他の宗教は関係無いです」を要約してこの言葉にしました)

    最新の質問→「創価学会(員)限定の話として、宗教活動者は洗脳されていると言われても仕方ない」

    とは、具体的に何のことを言っているのでしょうか?
    で、その具体的理由は?

    よろしくお願いします。

  11. 大岡誠人

    貴方の仰る事は概ね理解しました。
    お互いに多少の行き違いはあったのは事実ですけどとりあえずその点については白紙に戻してよろしいでしょう
    でないと話は先に進みませんので。

    まず「洗脳」についてですが一般大衆の信仰者に対しての印象は概ねこのような見方をされていると考えます
    信仰者というとちょっとぼやけますので創価学会員に対しての世間の見方と言って良いでしょう

    つまり学会員の印象というのは外部の人間から見たら得たいの知れない信仰にすがっている→はっきり言えば学会に騙されているという感じなのでしょう

    洗脳→本当は正しくも無いのに正しいものとだと信じること、もしくはその信仰に現実を変革する力も無いのに力があると思い込み錯覚する事

    ただ、これはあくまでも外部(一般世間)の見方で有って学会員である私個人の見解は違います
    学会員が単に洗脳されているだけなのか正しい信仰の実践を通して様々な功徳を受け福徳を積み上げ自らの宿命転換も可能にするのかは正直半信半疑の状態です

    信仰体験を積み重ねご本尊に揺るぎ無い確信がある人は洗脳されているとは言えず正しい信仰を実践しているということになると思いますね

    この信仰がまやかしならば単なる洗脳
    この信仰が本物ならば正しい宗教ということでよろしいかと

    繰り返しますがあくまでも私個人は半信半疑と言いますか無明に覆われている部分は有ります

  12. MonLinGen

    大岡さんへ

    ありがとうございます。
    対話を白紙に戻し、そしてお互い知恵を出し合って、再度この問題を考えて見たいと思います。

    一般人の学会員に対する「学会信仰」の感じ方は、大岡さんの言われる通りの状況があるとは、私も感じています。
    故に、学会批判者が学会の信仰、学会の活動をあれこれ中傷非難するその言葉の数々が、意外にスンナリと宗教の知識のない一般人の心の中に「ストン」と落ちてしまうのではとも考えます。
    学会批判者が学会信心の知識があるかどうかは、かなり疑問な処ですけど、お互い(学会批判者、一般人)が同じような性質ですから、学会嫌悪が更に大きくなっているという構図は考えられることだと思っています。

    ところで私は、「洗脳」「MC」と言う言葉を昔は結構使っていましたが、今はほぼ使用していません。
    洗脳とは、物理的心理的な強制力を持って被洗脳者に影響を与えるものだし、MC自体はそれなりの常識のある学者さんの共通認識では、「強い説得」以上の何物でもないという事で、今は私は「刷り込み」と言う言葉に変更してMonLinGenの記事を書いています。
    それをベースに「洗脳」(刷り込み)の私の意見を話してみます。

    学会の信仰の初期の初期は、初心者は年配者・先輩等からまさしく「信心の刷り込み」が行われます。
    これは誰もが経験することだと思います。
    で、その刷り込みが「信心の体験」を重ねる内に、いつの間にか自分の中で本当の「信仰心」に変化するのだと、私は思っています。

    一般の人に学会の信心が理解出来ようはずはないことは、確かの事。「信仰体験」が一切ないわけですから、当たり前です…。
    故に、我々がいくら口を酸っぱくして信仰の話をしても、これは学会指導からかなり離れた考えでしょうけど、学会理解は「無理」と言う事になってしまいます。
    じゃあ、さてどうすれば良いのでしょう?

    大岡さんは「自分は学会信仰に対して半信半疑」と言われます。
    私はその気持ちは非常によく理解出来ます。

    私もこんなブログをエラそうに運営していますけど、つい数年前(ブログを始める)まではこの信仰の深さが余り理解出てませんでした。
    池田先生の書籍や記事は読んではいましたが、その信仰内容となると「疑問符」が何個か浮かばせながらのそんな読み方です。
    まあ、座談会や本幹などは行きましたけど、それでも感動と言う事は余りありませんでした。
    そう言う意味からすると、一般人の学会への感覚とドッコイドッコイだったと感じます。

    このブログを立ち上げて、学会批判者の記事を読んでいくと、自分の中で彼等の疑問に対しての答えが出てこないことに気付きました。
    で、今度は「本気」で学会信仰の教学を勉強することになりました。
    すると、今まで何となく素通りしていた御書の一節や、先生のちょっとしたお話の中に凄い意味が隠されていることに気付いたのです。

    その教学勉強も、御文をただ機械的に「覚える」のではなく、自分の言葉に訳し直して覚えていたのです。
    単純な記憶は、何かあると簡単に忘れてしまいますが、「自身の言葉」で記憶すると忘れようがありません。
    これを実践の教学と呼べるのかどうかは定かではないものの、自分なりの信心の勉強だと考えています。

    すると学会批判者の一つひとつの中傷・批判の言葉に対して、自分の言葉で逆批判出来るようになり、更にこの日蓮仏法の凄さが「ズズン」心の中に入ってくるようになってきたのです。

    上で一般人の学会理解の疑問の話をしましたけど、この信心の理解を深める一つの方法として、「自分自身の言葉」で話していく、と言う方法があるのではと考えます。
    これはもう一つの意味があって、自分自身の言葉とは、要するに自分が本気で信じているその言葉、だと言う事になります。

    大岡さんの「半信半疑」は、若しかして大聖人や池田先生の言葉を、そのままの言葉で考えているからでは無いかと想像します。
    他人の言葉でいくら頑張って考えても、自分自身を納得はさせられないような気もしますが、どうでしょうか…。
    一度御書や先生の言葉を、自分の納得出来る言葉に変換する努力を試してみませんか?

    一般人への学会信仰の「刷り込み」解消は、自身の信仰の自分の言葉での納得と、同時に彼等に対しては「自分の言葉」で語っていくと言う、この両輪の同時行動が必要ではないかと、私は考えています。
    どちらが欠けても多分中途半端になるでしょう。

    何となくダラダラと記してしまいましたけど、若し参考になる話でも言葉でもくみ取って頂けると、有り難いと考えます…。

  13. 大岡

    他人の言葉でいくら頑張って考えても、自分自身を納得はさせられないような気もしますが、どうでしょうか…。

    なるほど

    このような視点も有るのですね
    今の私は学会員でありますが何というか未だに信心についての確信が持てないというますか…

    毎日、聖教新聞や大百蓮華の信仰体験に目を通しても納得できるものもあれば全く共感出来ず
    逆に不信を駆り立てるような気分になったりするものも少なくないです

    ただ、こればかりは自分自身で払拭する以外にないですけどね

    貴方様は色々と信仰体験をお持ちのようなのでこれから目を通させていただきます

  14. MonLinGen

    大岡さんへ

    何となくですけど、共通認識に至ったような気がします(‘-‘*)
    初めてです。こう言う対話でこう言うお互いの答えが見えてきたのは…。
    改めて、大岡さんには感謝します。ありがとうございました。

    あと、蛇足になりそうですけど、自分の教学の勉強と同時に、題目も大事な事は認識されているとは思いますが、この二つって車の両輪なんだと考えます。
    私は、出勤時等で車の中で題目をあげています。
    若し大岡さんも車に乗られる時に、ちょっと挙げてみるのも若しかして良いかも、です。

    …何か興味のある問題がありましたら、またコメント頂けると嬉しいです。

  15. 大岡誠人

    こちらこそありがとう御座います

    今後のブログの更新を楽しみにウオッチさせて頂きます

    私自身も確信が深まる様な信仰体験を積み重ねられるように頑張っていきます

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