メニュー 閉じる

「学会生活」、そんな悲しい人生のブログ

2006年6月1日更新停止のブログ「私は創価学会員でした」を流し読みしました。
悲痛感に満ちた、そんな学会生活、そして病中生活だったようです。
これは、管理人moco女史の持ってもいない創価学会知識を駆使して、ないこと無いことを綴っているブログです。

初めに書いておきますが、当moco女史は「創価学会からの悪意ある周波数…系」の人です。その事を知らないで記事を読み込んでしまうと、かなり面倒なことになります。
お気をつけを…。

〇   〇   〇

管理人のmoco女史、現在はブログをお休みして「休養」状態にあると言うお話。彼女の代理人なる人が、怒気を顕わにしつつその旨を記しています。
当の管理人さんは、今はお元気にしているのでしょうか。
人ごとながら、若干の心配もしたりしなかったりです…。

まあとにかく、そんな彼女の話す学会カルトの話の数々が以下の通りです。(記事からそのままコピペしました。読み易いように段落変更と、若干の「てにおは」を付け加えています)

1)『私は創価学会を絶対に許さないでしょう。
年末の財務で、全財産を持っていかれました。婦人部の幹部が、

「お金に困っている時程、財務を頑張りましょう!今は困っていてもすぐに何倍にも返ってくるから。今、家にあるお金は全部財務として使いなさい」

と勧められるままに、母はすべてのお金を創価学会に寄付しました。もう住む場所もありません。あと数ヶ月で家を出なければいけません。兄弟の大学の入学金、学費、当面の生活費もすべて寄付しました。(別記事では1500万円以上との話です)
財務の後、学会員は訪ねて来なくなりました。座談会でも母は無視されています。財務を勧めた幹部とは連絡も取れないそうです。

そして母は病気になりました。もう永くはないと思います

2)『ここ(当ブログ)を読んでいる、私に常軌を逸する嫌がらせ(コメント)をしている学会員、あんたらのしている事は正義でもなんでもないよ。ただの犯罪。

あんたらに人間の心が残っているなら、自分のしている事をよく考えてみてよ。
別の学会員が言ってた「何をしても(学会員は)捕まらない。」
あんたらも本気でそう思ってんの?自分の顔を鏡で見てごらん。

そこに写っているのはどんな顔?胸はって生きてられる?

3)『「マインド・コントロールとは何か」西田公昭(著) 
とても有名な本なので、ご存知の方も多いと思いますが、まだ読んでいないという方。この機会に読んで下さい。とても分かりやすく、マインドコントロールについて書かれています。
第1章から第9章まであるのですが、時間のない方は第6章からでもいいと思います。
第6章から第9章では、組織へ入会するまでの過程。組織の強化と維持をする為にどんな事がなされているのか。脱マインド・コントロールの技法や脱カルト者の心理。マインド・コントロールの防衛策などが書かれています

…以上「①②③それぞれは別記事からの転載」

学会退転者の大好きな「(高額)財務」「(学会)カルト(性)」、そして「(学会の)MC(で騙されていた)」の三点セットが揃(そろ)いました。(あと、「政教一致」が有れば百点満点…)

ある意味、学会批判の全てがここに要約されています。
どれもこれも、感情論的にも都市伝説的にも、学会批判者の心を掴(つか)み続ける、そんな素敵な話題だと言えます。

さて、これらの記事を書いてほっとしたのか、彼女は最後に「カルト学会連中」に吐き捨てるように言い放ちます。

「(自分にとってはこう言う判断は)非常に残念ですが、(当ブログを)無期限休止にします。
なぜなら(学会の工作員から)命の危険にさらされているからです(!!)」

常識からとっ外れた思考方法ながら、当人は当人なりに「本気」で悩んでいたようです。それは彼女の綴った全記事に感じる悲壮感です。
彼女の様な「病的」な人生観を持った人間には、一切の「理屈」は通用しません。
「病的」の故のお話の数々なのです…。

そんな「病的な彼女」に同情して、全く無批判なままかばい続ける人が居ます。
「代理人」の彼女(彼)です。

ブログというのは「個人の日記」です。個人の綴る内容は、その人の考える内容の記事になります。
…当然です。
しかし問題は、その身勝手な自由奔放さと言うのは、往々にして全く何の裏付けもない「決め付け記事」になる可能性も持っています。特に「学会批判世界」と言う無法地帯での関連記事は、その手のものが異常に多い事実があります。
自分思いのまま考えを綴っていくと言うこと自体は、ブログ本来の在り方なので批判するべき理由はありませんが、しかし余りにも荒唐無稽の「紋切り型記事」はやはり考えるべきです。

病的ブログへの同情者達は、健常者の日記と、精神を病んでいる人間の日記の「判別」が出来ないのでしょうか…。若しかして、彼等も同じ種類の人間…?
そうなると延々たる無限ループに入ってしまいます…。

〇   〇   〇

最後に一言…。
彼女(と代理人)が「ABOUT」に書いています。

このブログは討論の場ではありません

討論の有無はブログ主の好き好きでしょうけど、でも討論を「対話」と言い換えると、対話のない信心(思想)の在り方って、果たしてあり得るのでしょうか…?

様々な意見を持つ人々との「対話」と言う異種格闘的な「葛藤」があってこそ、自分自身の「思想」の良否や瑕疵(かし)が見えてくるものなんですけど…。


関連記事

集団ストーカーの日々

「創価学会はカルト」かどうか…疑問になってきました

ある青年の物語

1件のコメント

  1. ピンバック:広布金について | MonLinGen

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。