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対話部屋(2021.7.23~)

ISHIPOTEさん、そして当ブログ管理人MonLinGenの両人の宗教対話を行っています。(お互いローマ字名ですので外人同士に見えますけど…、多分日本人です)
令和3年7月23日からの開始です。
当部屋(記事)は純粋にISHIPOTEさんとの個人のものですので、その他大勢の無関係な方の書き込みは禁止します。

当対話は途中からのものですので、これ以前の過去の経過は下の記事を参照にしてください。主記事自体は、対話とは特に関連性のないものですが、まあ「学会批判」と言う意味では関わりはあるかも…。

たかが素浪人如きの、この無茶振り…コメント→当対話部屋に移行

(※「魔界アフィリエイト地獄」…御本尊の話を載せています。参考までに…)

この対話に関しての感想等がありましたら、別部屋(ギャラリー部屋)を用意していますのでそちらに書き込みお願いします。
参加や書き込みは、基本自由です。

対話(2021.7.23~)用外部ギャラリー部屋

ただ、ISHIPOTEさんへの思慮のない批判、中傷等はやめてください。
学会批判者ブログ等で行われている、学会員から寄せられた普通のコメントに対してのあの無法極まりない非難中傷の数々…。あれを見たり経験した人であれば、これは普通に理解出来ることだと考えます。

その代わり、MonLinGen個人への批判、苦情、中傷等はどんな内容のものでも特に禁止はしません。
常識を越えた中傷などに関しても、個人的には全く何も気にしませんので、普通にオールフリーです。どんなバカな話でも書いてください。
その代償として、こちらからのかなり厳しい論理的な論難に対しては、余程覚悟して頂けるよう釘は刺しておきます。

以上、よろしくお願いします。

MonLinGen(令和3年8月2日)


2021年8月15日の夕方で対話は終了します。

感想がありましたら、対話(2021.7.23~)用外部ギャラリー部屋に書き込みお願いします。
禁止事項は特に設けません。

MonLinGen(2021年8月15日)

15件のコメント

  1. ピンバック:対話(2021.7.23~)用外部ギャラリー部屋 | MonLinGen

  2. MonLinGen

    Ishipoteさんへ

    法華講さんであれば、少なくとも日蓮教学の基本程度以上はお持ちだと解釈します。
    また、同時に僧侶達への尊敬度合いもかなりなものだとも想像します。
    その事及び、今までのあなたの言葉を総合して、その基本の上から以後の対話を進めていきます。
    故に、こちらからの「質問」も受けて頂くつもりですので、よろしくお願いします。

    あなたからの私への質問の「御本尊」の場所に関しては、私の考えはしっかり説明しました。
    で、あなた自身の、その私への論難や、あなたの考える御本尊の場所を聞かせてください。
    これは法華講や宗門の教条的な教えではなく、あなた自身の考えをお聞かせください。

    よろしくお願いします。

  3. ISHIPOTE

    MONLINGENさんへ 

    「宗門の教条的な教えではなく、あなた自身の考えをお聞かせください。」
    申し訳ないのですが、そこがそもそも違っているのです。私の考えであれば凡夫の考えを基準にすることになります。正宗の信仰の基本を学び、わずかでも身につけることができたところをお伝えしたいのです。MONLINGENさんのブログ内容を拝見すると、学会から教えらてきたことほぼそのままだと思います。果たしてそれは信じるに足るものなのか?嘘があり歪められているってことに気づいていただく、そのきっかけになればとの思いだけなのです。池田会長への思いは人情的には分かります。私も学会員でした。信仰は大事な問題です。何年も悩みました。しかし「法に依って人に依らざれ」という「依法不依人」とあるように、日蓮大聖人は経文、法の道理を無視し、人師が自分勝手に解釈した教義を徹底的に破折いたしました。不幸の根源は法の道理から逸脱するところにあります。学会からの邪難はすでに出し尽くされています。
    できればゆっくり。その破折を静かに聞いていただくスタンスでお願いしたいと思います。ではまた。

  4. MonLinGen

    Ishipoteさんへ

    私、そして多分学会全体もそうなのかも知れませんが、日蓮仏法は「自分自身の生活」をどう良い方向に変えていけるか、と言う事を中心に構築されている「宗教教義」です。多分これからもそうだと考えます。
    自分の日々行じている日蓮仏法の数々の教えが、自身、及び地域、ひいては世界全体に広まらないようなそんな情け無い仏教なら、そんなものはすぐに消えてしまった方がましだと私は考えます。

    あなたは「依法不依人」と言われます。有名どころの御文です。

    さて、仏法とは果たして「法」のために存在するのでしょうか、それとも「人」のためにあるものなんでしょうか…?
    あなたの解釈では、仏法は「法」というよくわからないもののために存在していると言われます。
    私は、「人」の幸せのために存在していると思っていますし、そもそもその「人」が広めなくて一体誰が広めるのでしょうか…?

    法華講・宗門の致命的な考えは、日蓮仏法というものを「教条的」にしか考えていないと言うことです。
    「教条」とは、言葉の意味を自身で何も考えもせずに、更に自分の生きている時代にどうやったらそのお言葉が「生きてくるのか」等を何も考えずに、その文字の「音」だけをあがめ奉っているだけのことを言います。

    あなたは今現在、「依法不依人」の御文を自分の生活にどう生かしているのでしょうか?
    ただ上から言われたから、だからそう考えているだけ…の様に見えますが、勘違い?

    …さて、あなたに疑問を呈している問題を、先ず先に解決したいです。
    あなた(または法華講)の「考え」を聞かせてください。

  5. ISHIPOTE

    依法不依人とは、 仏の教え(法)を基本とすべきであって、そこに自分の考えを混ぜ込んで、新しい教義を作ってしまうような人師に従ってはならない、ということ。
     仏とは「聖人と申すは委細に三世を知るを聖人と云う」
     また、仏の教え(法)を信じない人(迷いの凡夫)について「主無く、親無く、救無く、護無く、趣無く、貧窮飢困ならん」と説かれています。すなわち、仏という人生の根本の師を知らず、最も慈愛深い親を持たず、従って仏の救済も無く、護られることも無く、何を目的として生きるのかということも知らず、正法の財宝(功徳)に恵まれない、心の貧しい人だというのであります。
     
    あなたが書かれている内容は、「日蓮」や「仏教」という言葉を並べつつも、その教えに従わず自分の考えに作り変えてしまっているのです。
    「教条」と揶揄されてますが、自分自身の考えを中心にして生老病死が解決できますか?

    少しは聖人のお言葉を心して拝してみませんか。「衆生の心は皆善につけ悪につけて迷を本とするゆへに仏にはならざるか」

  6. MonLinGen

    Ishipoteさんへ

    「依法不依人」の意訳を、私はわざと若干曲解して話してみました。
    こんな感じでこう書くと、多分日蓮教学的にかなり難解なものを書いてくるだろうなと想像していましたけど、ほぼ予想通りのあなたの文章です。
    あなたは、ここでの対話は「自分の考えではなく、法華講(または宗門)の考え」という意味の話をしていました。
    当にその通りの仏法解釈のお話です。

    がしかし、日蓮大聖人が「凡夫即極」と仰ったことと、あなたの「依法不依人」の様々なお話とはかなりな乖離が見られますが、その矛盾をあなた自身はどうお考えなんでしょう?

    …それは「今からの話」になりますが、先ず解決しておくべき問題が存在しています。
    私はあなたの質問に答えたことがあります。
    これは今話されている問題とも同期することですので、その事を解決すべきだと、私は考えます。

    「御本尊の場所」の私の考えはしっかり記しました。
    さて、「あなたは」その事をどう考えるのでしょうか…?
    それが先ず以て、今現在の解決すべき問題だと「私は」考えます。

    因みにの話ですけど、「対話」とは、お互いの人格をお互いがしっかり認めるから出来得るものです。
    Aさんは、Bさんの人格を認めて、彼の話す事を出来るだけ真摯に受け止める努力をするのに、BさんはAさんの質問には答えず、にただ独りよがりの自分勝手な話をするだけ…、何処かの学会批判者ブログでのお話のような感じの出来事……。

    他人の人格を認めると言う事は、その他人の中に「仏界」を認める事なんですよ。
    そう言う事は宗門で教えて貰えないことなんでしょうか…?
    ちょっと不思議な宗門の教学です。

  7. ISHIPOTE

    正宗の「凡夫即極」と「依法不依人」は乖離もせず全く矛盾していませんよ。

    日蓮大聖人「涅槃経に云はく『法に依って人に依らざれ』云云。痛ましいかな悲しいかな、末代の学者仏法を習学して還って仏法を滅す」

    貪瞋痴の三毒強盛な末法の衆生から見ると矛盾して見えるのです。

  8. MonLinGen

    Ishipoteさんへ

    学会批判者の全てに共通するコメント方法論として、自分の得意とする分野や自分が信じ切っている話に関しては、延々と持論を述べます。が、相手の話や論理、または自分に不都合な事に関しては一切の無視、または理由も述べずに頑否定すると言う事が言えます。
    これは経験上の話ですので、はっきりと断言できます。

    さて、何度目なんでしょうか…?
    私はあなたに回答、若しくは意見・感想を求めている「一つの大事な話」が存在しています。
    思い出してくれますか、そろそろ……。
    自分の意見だけを述べ続けるのは「対話」とは言えませんよ。
    あなたも一時は学会員だと話されます。なら、仏界の話のことを、ほんのちょっとでも思い出して頂けますかね……。

  9. MonLinGen

    Ishipoteさんへ

    こんにちは。元気していますか?

    そろそろコメント出して頂けると有り難いのですが…。
    「何月何日頃まで待って下さい。今考えています」と言う文字だけでも数分で出せるはずです。

    私の意見に対して、「違うと思う」でも「宗門にはそんな教学はない」とか、又は「同感です」等々何でも宜しいので返信して頂けると、こちらとしても無限に待たないと駄目かな…、などと言う無意味な気持ちも払拭できます。

    8月5日が私の最終コメントでした。
    無意味に待ち続ける無駄を省きたいと考えていますので、以後合計1週間を目処にあなたからの返信をお待ちすることにします。

    8月11日(水)までお待ちしますね。
    その間、じっくり考察をお願いします。

  10. ISHIPOTE

    やれやれ破折されていることに気づきもしないとは。今まで述べたことが全てあなたへの回答(対話ではなく破折)。

    あなたは、日蓮大聖人の仰せの
    「此の御本尊全く余所に求むる事なかれ。只我等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり」と
    「衆生の心は皆善につけ悪につけて迷を本とするゆへに仏にはならざるか」
    とを矛盾したように思えるのでしょう。正統門流からすれば全く矛盾していないのです。

    矛盾と感じるのであれば、あなたの信心は正しいものではなく、謗法だということ。

    • MonLinGen

      Ishipoteさんへ

      こんにちは。
      いい感じの悪口、気に入りました。それぐらいの意欲がないと、こう言う対話は続かないのです。
      良かった、戻って頂いて…。又例の途中逃亡かな、などと心配していましたよ。

      さて、「此の御本尊…」と「衆生の心は…」の両義、あなた(そして宗門)にとっては全く矛盾していないというお考え。
      さて、私のような凡夫系の人にも分かるように説明してほしいですけど、やって頂けますか?

      また、あなたは私からの答えだけを求め続けています。そしてそれを「破折」だと話します。
      自分だけの話をして、相手の話に関しては無視を続けることがあなた達宗門の言う「宗教的破折」だと言う、その心は?

      此の二つのあなたからの答えを求めます。
      無視はしないで下さいね。

      お願いしますね。

  11. ISHIPOTE

    悪口にしか聞こえませんか。

    要は矛盾に思えている。どちらも日蓮大聖人の御聖訓であるにもかかわらず。矛盾と思わせた悪師がいるということ。その者から正法を誹謗させられているから御聖訓に矛盾が生じていると感じるのです。

    誹謗正法の罪はあなたが考えているより相当重い。
    「第二に無間地獄の因果の軽重を明かさば、
     問て云く 五逆罪より外の罪によりて無間地獄に堕ちんことあるべしや。
     答て云く 誹謗正法の重罪なり。」

    御聖訓「衆生の心は皆善につけ悪につけて迷を本とするゆへに仏にはならざるか」を正直に拝するならば、求めている答えは必ず明らかとなる。信じなければ無明のまま。     

    素直に信ずる心になれば、またお相手いたしましょう。

  12. MonLinGen

    Ishipoteさんへ

    「素直に信ずる心になれば、又お相手いたしましょう」とのあなたのお言葉。
    これはどういう意味なのでしょう?

    「対話」とは、先ず対話相手の人格を「認める」事を前提に進むものです。
    「信じる信じない」は、それぞれの対話の最終的なその結果であって、初めから「お前はオレを信じろ。でなければ話さぬ!」と言う態度は、大聖人のお心から離れ過ぎだと思いませんか?

    大聖人の「対話」の在り方は、先ず相手の人間性を信じて、そして彼の中に眠っている仏界に語りかけていたというのが現実でした。大聖人のお心に感動した対話相手の彼が、結果として心底大聖人のお話を信じることが出来た、と言う流れだったのです。

    大聖人が、対話の初めから「オレを信じろ」などと言ったと言うお話は聞いたことがありませんけど、あなたたち宗門の御書にはそんなお話が載っているのでしょうか?
    であるなら、そう言う面白御書には私も興味がありますので、是非紹介して下さいな。

    因みに、対話とは相手に分かり易い言葉を駆使して行うものです。
    「自分の言葉」で大聖人のお言葉を話せない人間は、得てして無意味に古文を出しまくって相手を煙に巻く事が非常に多いことは、此のMonLinGenでも数多く経験済みです。
    こう言う事をする人は、その話を自分自身が消化しきっていない証拠なのです。

    さて、私はあなた(宗門)の「意見」を聞きたいのです。信じる信じない等の与太話はどうでもいいのです。
    もう一度聞きます。(前回の私の質問を再掲します)

    「此の御本尊…」と「衆生の心は…」の両義、あなた(そして宗門)にとっては全く矛盾していないというお考え。
    さて、私のような凡夫系の人にも分かるように説明してほしいですけど、やって頂けますか?
    また、あなたは私からの答えだけを求め続けています。そしてそれを「破折」だと話します。
    自分だけの話をして、相手の話に関しては無視を続けることがあなた達宗門の言う「宗教的破折」だと言う、その心は?

    さあ、私のこの言葉を信じる気になれば、もう一度仕切り直して「対話」を始めましょう。
    それとも、学会批判者お得意の、此の場所から逃げを決め込みますか?
    私には何処にも逃げ場所はありませんよ。
    若しトンズラをするのであれば、それは私の話が全て「正しい」とあなたが認めたというその証拠になるわけですけどね…。

    よろしくお願いしますね。

  13. MonLinGen

    Ishipoteさんへ

    もうやめましょうか…。
    これ以上の対話はあなたにとっても、私にとっても苦痛以外の何物でもないようです。

    そもそも、あなたには日蓮仏法を語れる知識も、そして信仰の素地も全くありません。
    もう少し「法華講員」としての意地というのか、根性を期待していましたが、意味不明のあなたの逆ギレにこれ以上お付き合いするのは、無意味そのものだと私は感じました。

    とは言え、あなたに一つ二つ提案をします。
    以下のことを真剣に考察お願いします。

    1, あなたのお友達の法華講員さんをこの対話に参加させるという案。
    2, 一人でも複数人でも特に問題はありません
    3, 若し可能であれば宗門の僧侶さんでもお呼びできれば、それはそれで面白い感じです。
    4, まあ、複数人の中にあなたの参加も可能でしょうし。

    以上の提案受けて頂けるのであれば、一応8月15日(日)の夕方までお待ちします。
    あなたにとって一番いい感じのものになるように祈ってますね。

    勝った負けたと言う思いは持たないで下さいね。
    そもそも論として、当対話はそう言う次元のものでもなかった訳ですから、あなたが残念がる必要はありませんよ。
    じゃ、上の件よろしくお願いします。

  14. MonLinGen

    Ishipoteさんへ

    私の日蓮仏法の主張の全てをあなたは肯定したと、そう取ってもいいですね。
    ありがとうございます。
    この対話の出来事を法華講、宗門の人々に宣伝して頂けると有り難いですね…。

    などと言う皮肉も、彼にはさっぱり通用はしないようです。
    まあ、そんなこんなで当対話も終了しました。
    でも、若しこの続きを希望するどなたかが居られましたら、連絡下さい。

    MonLinGen(2021年8月15日)

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