メニュー 閉じる

魔界アフェリエイト地獄

私のブログはWordPressのテーマを使用しています。

普通ブログやサイトは、企業の運営している、無料だけど広告付きのモノを使用させて貰うと言うのが一般的ですが、ある金額を払って自分のサーバー契約をし、自分だけのソフトをインストールすると、あら不思議個人専用のサイトができあがりです♪
当MonLinGenは、有名なXServerプラス、これも超有名なWordPressで、こんな感じのブログに仕上がっております。

当然のこと、広告表示はありません。
でも、勿論その気になればアフィリエイもやり放題!とはなっています。

一時期、アフィリエイトを当MonLinGenで流した経験があります。しかし、結局辞めてしまいました。
何故なら、自分はこう言う商行為には全く興味がないことに、突然ハッと気付きまして、そう言う事で汗をかくよりも記事の内容の深化に努力した方が余程人間的だとわかった訳です…。

〇   〇   〇

ある方から、学会批判ブログをコメント紹介して頂きました。
その名は、

魔界創価地獄

なかなかオドロオドロシイ、学会批判者ブログらしいお名前のそのブログ。
さらりと読ませて頂いたところ、「あら面白や、男子部退転者がモノに狂うのを見よ!」的なそんな感じの内容の数々。
更には、彼も多分ですがXServerプラスWordPressのお方。おまけにアフィリエイトも万全なる超弩級のブログサイトです。

がしかし、批判内容全体は、突出したモノは特には感じられませんでした。
それでも何となく面白げな文章を依り選って、ここで紹介してみたいと考えます…。

「このブログは元・創価学会男子部員が書いたものである。
(略)創価学会は邪教である。あの宗教に心を壊され、尊厳を足蹴にされた全ての人達に当ブログを読んでもらえることを心から望んでやまない」

との「はじめに」のお言葉。
まあ、別段「地獄的」な話の内容でも何でもなさげですが、私の琴線に響いた言葉が、これ。

ちなみに当ブログには「創価学会の悪」を世に知らしめながらアフィリエイトで副業しようという魂胆がある

こう言う堂々たる商売根性を見せつけるその開放感は、個人的には大好きです。
若し自分もアフィリに取り付かれていたとしたら、彼とお友達になったかも…(‘-‘*)
他の記事にも、こう言う感じの「お前、クリックして何か買え!」的PRが至る所に貼り付けられています。
商売商売、また商売…。

そんな彼も、創価学会に人生を奪われた口。

連日行われる会合で自由な時間を奪われ、人生の限られた時間を無駄にした人が多いと聞く。俺もその一人である。特に、男子部は夜遅くに個人宅に集まる会合が多く、ろくに食事もせずに会社から直接会合に向かい、深夜まで帰宅できない、というのは日常茶飯事であった

学会会合の多さは、並みの会社役員どころの騒ぎでないことは、これは大袈裟でもなく確かの話です。(今はコロナ禍でネットでの活動が主ですが)そして彼の話す、「活動は自分が時間をこじ開けてやっていくモノだ」との学会指導通りのそんな雰囲気も真実のことになります。

学会員は自分の生活を犠牲にして活動することを「池田先生のために戦おう!!」などと言って正当化しているが、そんなものは活動以外にすることがない「暇人のたわごと」にすぎない

池田先生のために闘おう!」のフレーズも時折されるようです。
が、MonLinGen個人としては、ブログの彼の感覚とはかなり違っていて、その指導は聞くのは聞きますが、すべて話は10分の1程に聞き流していました。なので、そこに関しての不満はほぼ何もありませんでした。
これは個人の「性格」のものでしょうから、個人差は確かに存在しますよね。

ただ、彼の話す「暇人のたわごと」という批判に関しては、賛同しかねます。
何故なら、どんな活動でも時間というモノは、自分が上手く考えながら作っていかないと、結局ただの1分も作ることは出来ないのも、これは確かのことですから…。
この事はじっくり考えて見ると、「事実」だとわかるはずですよ。

価値観の多様化に対処できない創価学会」と言う話が載っていました。
私自身の過去の活動での幹部達の行動、会話内容等を思い出してみると、この事は確かにそうだと言えそうです。
価値観の多様性」を「融通性の有無」に変えてみると、はっきり理解出来ます。

個人的に見ても、四角四面的に学会指導通りの生活をしている人は、学会内には結構多い様には感じます。
そう言う人は生活そのもの、また社会的にも「融通性」が余り感じられないことも事実かも知れません。

昔、妻の体験談を添削した婦人部幹部が妻に、体験文の中には「大好きな池田先生」の言葉を必ず入れること、との注意を受けたことがあるそうで、妻は「まっぴらゴメン」的に結局その指導は無視したという経験があります。
そう言う雰囲気は、現時点での「本部幹部会中継」の中でも多々見受けられますので、今現在の話としても通用するのかも知れませんね…。

MonLinGen個人の思いも、そう言う雰囲気はどうしても好きにはなれないものです。
今は、完全にスルーを決めています。
しかし、こう言う「伝統」は、どんな組織や会社にもついて回るモノだとも考えます。
普通に頑無視していれば特に気になるものでもないとも思いますが、彼は気になって仕方がないようですね。

学会活動を必死になって頑張り、御本尊に祈りまくったのに願いが叶うどころか生活がひどくなる一方という人は多いはずである。
(何故ならそれは)御本尊が偽物だからである(以下、偽本尊と呼ぶ)

願い叶わず=偽本尊」は、学会批判者御用達の重要アイテムの一つ。剣の強化用薬液ポッドと同等の意味を持っている、かも…。

ここからが彼の学会退転者故の「屁理屈」になります。
が、偽本尊云々の話はここではしません。エラく話が大袈裟になりますから…。

さて、いつもの退転者への疑問の話になりますけど、彼は日蓮仏法を「最後の最後…の最後まで」貫き通したのでしょうか?
三障四魔」が出てきても、それでも歯を食い縛って題目をあげきったのでしょうか?
辛くて辛くて仕方なくなった時に、大聖人の御文や先生の指導を読みながら、更には幹部に指導を求めて、そして更に更に血の涙を流しながらその「」を、自身の信心の「(つるぎ)で切り刻もうと努力を重ねたのでしょうか?

……。

ブログ記事を読む限りは、そんな努力はなされていないように感じます。
辛くなった時、あっという間に退転の道を選んでしまった、そんなお気楽さを感じるだけの、そんな軽いブログの雰囲気です。

学会のモノは「これは偽本尊だ!!」と断言するには、自分自身が信心の究極の「場所」まで行って、更にその先まで行こうとして、結局挫折した、その時初めてに言える言葉なのですよ。

〇   〇   〇

偽本尊に祈っている人は哀れである。
生気を吸われまくって外見が衰え、白髪頭で疲れ果てた顔つきをしており、死人の相を表わしている

彼はこう記しています。
彼自身この文章の意味を、全くと言って理解していません。

偽本尊に祈って不幸になる

とは、日蓮仏法的に話すと、

御本尊に祈りながらも、結局自身の仏界を信じ切れないままの信仰を何となく続けている。つまり、仏法を信仰しながら、結局の処外道の信仰を一生懸命に信仰している故の、その不幸

と言う意味なのです。
偽御本尊に祈ってどうのこうの問題では、全くありません。
彼自身の信仰の「方向性」が日蓮仏法の方向と全く真逆を向いていただけの、ただそれだけの話なのです。

自分の仏界を信じられない人が、どうして他人の仏界など信じることが出来るでしょう?
他人の仏界を信じられない人は、結局回り回って、「自分の不幸は他人のせい」と言う外道感に囚われてしまいます。

此の御本尊全く余所(よそ)に求むる事なかれ。只我れ等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり」(日女御前御返事)

末法に入って法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり
妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり、宝塔又南無妙法蓮華経なり
我が身又三身即一の本覚の如来なり」(阿仏房御書)

真の御本尊」の在処は、某弱小宗門のところでもなく、また各家庭や会館に存在しているのでもありません。
あなたの体の中心の中心に存在しているのです。
胸中の肉団」、そして「宝塔」がそれに当たることは、教学任用程度の持ち主でも理解出来る教学知識です。

題目をあげて自身の仏界を開くという意味とは、要するに自身の中にある「胸中の御本尊」「宝塔」に対して「自身の題目」を突き刺す如くの命がけの行為を言うのです。

地獄のアフィリエイト命さん、その事実をもう一度考えて貰いたいと私は本気でそう思っています……。


関連記事

創価学会は「疑問拒否」の組織です…♥

何故学会の信仰を続けているのか

「疑問の解決方法」のお話

1件のコメント

  1. ピンバック:対話部屋(2021.7.23~) | MonLinGen

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。