メニュー 閉じる

ないちょのお話

一見理論的に学会批判を行っているように見える、そんなブログ記事を見つけました。
その名も、

ないちょの雑記帳…創価学会員に関して思うこと

ブログの中にないちょ氏のプロフィールが見当たらないので、彼(女)が一体どんな人間なのか分かりませんけど、ないちょ氏の学会に対する記事の内容や、またブログカテゴリーの題名等で判断する限り、他の無遠慮極まりない学会批判者達のようなそんなにバカげた主張をするタイプの人でもなさそうです。
しかしそれにも関わらず、彼もやはり学会批判者共通の、日蓮宗教の教学、更には日蓮信仰の根本というものに関しての無知さ加減が、はっきりと認められる人のようではあります…。

〇    〇   〇

「最近、創価学会員について考えることが多い。
“学会員”とはいったい何者なのかということについて」

そう話して記事を始める、ないちょ氏。
現実の学会員からすると、今更何を言っているのだろうこの人…と首を傾(かし)げそうにもなりますが、しかし彼も学会の信心のことは全く何も知らない訳ですから、まあ仕方のない疑問なんだろうとも考えます。

でも、これもいつもの如くの話ですけど、一体「何も知らない学会」に対して、どう言う理由で何の疑問を持ち、そして怖いことに何故その知らないまま勝手に自論を展開しようとするのか、それがまた疑問の連鎖になります…。

「学会員たちは法華経にある”正法”を広める”地湧の菩薩”と自分たちのことを信じ、自分たちの行いが唯一絶対、正しいものと信じている。
(略)学会員のうち、法華経にある”正法”について具体的なことを語れる学会員はほとんどいない。学会流の法華経信仰を”正法信仰”と学会員が実感するのは、願い事がかなったという体験からである。そのような体験から”正しい”と認識することがほとんどである」

この彼の疑問の文章が、当に彼の日蓮仏法の理解力の貧弱さを如実に表している訳なのです。
上の話を簡単に現代流に要約すれば、以下こんな感じになるかと思います。

正法とは、正しい仏法のことです。正しい仏法の教義を勉強し、そしてその宗教を広めている人間のことを地湧の菩薩と、日蓮仏法上そう呼んでいます。
その正法の信仰の結果の体験を積むことが、功徳の体験です。自身の信仰体験は、他人の勝手な意見ではないので、当人にとっては絶対的な確信となります。
故に、この宗教が”正しいのだ”と結論する訳です

しかし、彼はこの説明が気に入りません。
更に、こんな疑問も呈するのです。

「そのような体験からくる確信は一見正しいように思われる。
しかし、ちょっと考えてみる必要がある。成功体験があるからといってそれが絶対正しいと言うことはできない。そのように断言するためには、常にその方法であれば成功するという確証がなければならない」

ないちょ氏は、赤の他人である学会員の信仰体験を、完全頑否定します。
こうなると、彼に対しては何も話は出来なくなります。
がしかし、信仰人個人の体験を否定することは、ないちょ氏自身のブログの様々な主張も否定されても文句は言えないはずですが、しかし人間は勝手なもので、そう言う自分への否定は許されないと考えてもいるようです。

で、彼には内緒でこんな話をここに載せておきます。
これは学会員で有れば大体の人の知るところのものですので、特に否定される覚えもない訳ですね…。

戸田先生は、日蓮信仰の功徳の出方の事を「方程式」と呼びました。
方程式とは、要するに日蓮信仰に於いて「何と何をこういう感じでし続けていけば、必ずこうなる」と言う事の数学的な物言いです。戸田先生は数学の先生でしたからね…。
これは、具体的にはこう言う事だと解釈でそうです。

信心の功徳を求める時に、題目と折伏を必ずしていきましょう。その結果、自身の境涯革命を必ず得ることが出来ます。
しかし、信仰の途中に必ず三障四魔が入り込みますので、それには決して負けずに更に更に貫いていくべきです。
魔に負けると功徳は受けられませんよ

更に上の文章を方程式的に記してみるとこうなるかもしれません。

(題目+折伏)/三障四魔=境涯革命

今更の話ですが、三障四魔「/」の除算の部分をどうやって乗り越えるかが、この法定式の「」となります。
これに負けると、学会退転者の如く自分の境涯革命も何もかもが全てご破算となる訳です。

ないちょ氏は、学会が会員を虐めていると言う話をこの後にしていますが、彼は三障四魔の「さ」の字も理解していない人です。そんな人間に学会員、そして学会信仰の一体全体の「」が分かるというのでしょう…?

 「そのことから考えると学会員が一番大事としているものは熱心な信仰の結果、自分の幸せを確立することではなく、学会員同士の人間関係とその関係の中で築かれたファンタジーを守ることにあるように思える」

学会知識皆無のないちょ氏、故に自分勝手にこんな結論を出してしまいます。
意訳になりますが、「学会はファンタジー組織」とはちょいと面白い言い回しです。意味しているものは理解出来そうではあります。
要するに学会信心とは単なる空想の世界だけの、ただそれだけの空虚なものなのだ、と言いたい訳です。
学会批判者十八番の知らないものに対しての強引な感情的結論、そう言えそうですね。

〇   〇   〇

「以上のことから考えると学会員が熱心に学会活動を行う理由は、(略)明確な言葉では語られることはないが学会活動に学会員を追い込む、見えない強制力があるからでないのだろうか?

そして、それ故に創価学会とはカルト系の組織、だとのないちょ氏の結論です。

彼の筆致は意外に易しい流れで、何となく引きつけられるものも感じはします。
また、彼はそれなりの知性と理性の持ち主の人間なんだろうなと言う想像もできます。
それだからこそ余計に、ないちょ氏のこの学会理解力の無さが突出して感じられるのです。
こんな良質そうな人間にも創価学会批判の害毒の影響が出ているというこの事実を見せられると、本気の本気で学会批判のその巨大さに圧倒される気もしてきます。

数は彼等よりも遙かに少ないのですが、それでもやはり我々学会擁護派の活動は、地味そのものに見えても確実にやっていくべきものなんでしょうね…


関連記事

ネット学会員の虚像と実像-Ⅰ

妄想を語る

「創価学会批評ブログ」★解体新書-Ⅰ

2件のコメント

  1. シェイフォン

    お疲れ様です、シェイフォンです。

    創価学会の本懐は同苦であり、他人の苦しみは自分の苦しみ、そして他人の喜びは自分の喜びだと悟らせること。
    だからこそ正法を知らず、苦しんでいる人を見かけるとお節介と言われながらも声をかけずにいられないのが学会員だと思います。

    目の前で苦しんでいる肉親・友人を放置することこそ大悪だと考えているのですが、この辺りが世間から相当誤解されていますよね。

    ないちょ氏は十界論でいう声聞・縁覚の境涯の人なのかなぁ。
    自分は自分で他人は他人と考えるのが正しいと考える個人主義か、それとも他者への共感力が著しく欠けているサイコパスか。

    願わくば前者であることを願っています。

    • MonLinGen

      シェイフォンさんへ

      こんにちは。
      病膏肓に入る…学会批判者の波浪の中の学会活動の如き極寒の中の都市運営、如何ですか……(‘-‘*)

      「村」の中の「お節介」は普通のことで誰にも中傷もされずに行われていたものですが、都市がこれだけ発達し、またマンションでの隣人の名前も定かでない現代において、他人のことを本気で心配する様な奇特すぎる人は、隣人からすると本気で「エイリアン」扱いされてしまいそうです。
      我々学会員の十界論感情からすると、他人への感情移入は当然の話なんですけど、「じ」の字も知らない人間からすると、やはり気持ち悪さを通り越して「恐怖」まで気持ちが高ぶってしまうのかも知れません…。

      そう言う感情が「悪意」のフィルターを通して世に広がっているのが、今現在の学会批判・中傷の数々なんでしょうかね。
      「地道」以外の何物でもない学会活動の数々です。
      今回の選挙も短期決戦で、いつもの地道な活動…これも何とか黙々と闘っていきたいものです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。