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学会からのお別れの挨拶

「学会3世のアラフィフ、りんごです。
日々感じる創価学会への疑問や愚痴を吐き出しながら、未活から非活、いつかは退会を目指すために気持ちを綴っていきたいと思っています(略)

例の如くの、元気いっぱいなる退転者ブログのこんな素敵なお言葉です。

彼女は退転に関してしばらく悩んでいたそうですが、ある有名ブログを読んでその気持ちが定まったと話します。彼女のその背中を力強くドスンと押したのが、これまた例の如くの退転者御用達「(嘘八百の)対話を求めて」。
当ブログ記事の「真偽」の数々の真実は、本気で調査・検討すれば簡単に答えが出るものなんですが、人間は自分が求めているもの「しか」受け入れることが出来ない性質(たち)を持っているようで、まあ彼女もそんな一人です…。

自分らしく生きるためお別れの挨拶

〇   〇   〇

今月、お引越しを控えている地区部長にご挨拶に伺いました。
(略)まずは(自分が)全てを放り投げ、ドロップアウトして地区部長に負担を強いてしまった事をおわびしました。
(地区部長は)笑顔で「いいんですよー、そんな事は!りんごさんがお元気になられるのが1番ですから!」と、清々しくご返答頂きました。
そして一連の経緯を話し、奥様を創価から守ってほしいとお願いしました。
お引越し先で活動する予定ですか?と直球で聞くと、そのつもりです、と話していましたが、気持ちが変わってくれる事を願います」赤字はMonLinGen)

リンゴさんはある意味「素直」、別の言い方をすると他人様の気持ちを簡単に「無視」できる人間と言えます。
創価学会の地区部長に対してこんなバッサリ感の失礼そのものの物言いは、普通の社会的常識を持っている人には決して出来るものではないのですけど、彼女リンゴさんはいとも普通にこんな事を「お願い」しています。

これは余り笑いを誘えるような楽しげな会話ではありません。でも当の地区部長さんは、リンゴさんのそんな非常識加減を十分承知しておられるようで、心の中は兎も角として、表面上は大人の対応をしっかりされています。

でもまあ、このエピソードに対しての学会批判者達の反応はと言うと、やはり拍手喝采ものなんでしょうね。

「その後の地区の様子も少し気になりましたので聞いてみました。
新聞配達は支部婦(人部長)がやっているそうです。
そして、支部に3つあった地区が2つになる事になった、と。
わぉ(笑)」

支部・地区の縮小は、学会批判者の彼女にとっては何にも増しての喜びです。
で、この話が次に繋がります。

「そして支部…いえ、創価の衰退が目に見える形になったと言えますね。(略)活動家もいない、若者もいない、年寄りは動けなくなる。。。
地区部長にも言いましたが、SGIは世界に広がってなんかいない。
むしろ衰退してるのは内部が1番わかっているはず。
でも大躍進!大勝利!先生はお元気です!って、どう考えても嘘っぽい。
それは何故なのか、考えてみて欲しい。考えれば分かる」

こう言う話の流れで理屈立って言われると、「成る程、やっぱりそうなのかな…」と悩んでしまいそうにもなりますが、でも彼女は一番大事なことに気付いてもいません。

創価学会は「信仰体験」が第一義の宗教組織です。そしてその信仰体験は、信仰を続けているといつか必ず体験できるものです。
で、自身が「現実に体験した」信仰の体験は、赤の他人がどんなに批判、論難しようともビクともしないもので、そんな信仰者は絶対的に強い人間ですし、退転しようとも退転できないのなのです。

そんな絶対的な信仰を保持した人間が創価学会員の中には目に見えないものの、非常に多く存在している事実があります。
そう言う人々が「中核」となって、更に対話で学会員の賛同者を更に更に増やしていくのです。

リンゴ女史は、そんな組織がどれだけの底力を持っているかの事実を完全に無視、または全く理解していません。

更に言うと、どんな組織(人間)でも停滞期は必ずあるものです。この「停滞期」とは次のジャンプに向けての「踏ん張り期」のことを言います。
停滞期は、表面的には特に動きが見えないものなのです。
この事は誰でも理解出来ます。
その動きの少ない停滞期のただ一時だけを取り出して(学会批判者十八番の「部分切り取り」)、ヤンヤヤンヤの大騒ぎをすること自体がバカな話なのです。

戸田先生も池田先生も言われています。
問題は、信心を貫き通した「最後の最後」に、その人がどんな境涯になっているかが問題なのだ、と。

逆な方向からこの話を考えてみると、学会批判者の盛んに行っている学会批判の「その結果」も、そう言う意味で同様だと考えられます。リンゴさんが学会を目一杯批判し尽くしたその「最後の最後」、その時彼女の「境涯」が一体どうなっているのやら…。

 「誤本尊がカラコピである事、会則とやらで信仰の対象が変わる事、疑問に思ってなかったし。
考える時間を与えられなかったから、仕方ない」

誤本尊」は「真本尊」の対義語になります。
彼女は無意識にでしょうけど、他に本物の本尊が存在しているのだと話しています。
では、その本物の本尊を受持して信仰活動をすれば、さてどうなるのでしょうか?
でも、彼女はその事に関しては完全黙秘です。

時間というものは自分で意識すればいくらでも作れるものなんですがね…。
その証拠に、彼女は学会批判者のブログを「時間をかけて」調べてこう言う無意味な結論に達した訳ですから。

〇   〇   〇

「自分らしく、自分が大切にしたいと思うものを大事に生きていこうと思います。
全国にいる活動に苦しんでいる学会員の皆様。創価は詐欺です。罰も功徳もありません。苦しいのなら辞めましょう。
功徳はないけど苦毒はあります。
私は活動辞めて幸せになりました」

苦毒」との言い回しはちょいと面白気で、いつか何処かで使ってみたい気もします。それは兎も角、彼女は創価学会では一度も信仰の功徳を受けた「経験」が無かったようです。
そんないい加減で情けのない人間が、どうして創価学会の信仰、別の言い方をすると日蓮大聖人の信仰に罰も功徳もないのだとはっきり「断言」できるのか、それが不思議です。
退転して「幸せになった」のは彼女の勝手です。しかし、自分の世界の外の外の知識のものを無意味にこう宣言するのは、はっきり言って間違っています。

でも、彼女はこの後、ずっとそう言う間違いのままの人生を送っていくのでしょうね。
まあ、体だけはお大事に……。


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2件のコメント

  1. 匿名

    こんにちは、シェイフォンです。
    今回も拝読させて頂きました。

    彼ら退転者は私より心のウエイトを占める学会の割合が大きいのだと思うことがあります。
    私も学会の存在は大きいですが、彼らほど四六時中考えて周りに発信するほどではないかな。
    仕事や家族がありますし、将来の不安やお金のこと、夢や楽しみがあって、最近はフロストパンクといったゲームに嵌まりすぎて全然唱題が出来ておらず、この選挙が近い大事な時期に何をしているんだと後悔しています。

    閑話休題

    まあ、彼らに対して思うのは徳明のブログで糾弾するよりかは、現実世界で努力して実名を出せるほど有名になってから糾弾して欲しいなと。
    建設は死闘、破壊は一瞬。
    その言葉の意味を身をもって理解する境涯に身を置けば信仰する学会員の心情に近づけるかと。
    長年積み上げてきた信頼が僅かな気の緩みと運の無さで全て崩れ去った時、自分を奮い立たせるのは池田先生の指導と負けじ魂だけだと思います。

    • MonLinGen

      シェイフォンさんへ

      こんにちは。
      確かにいつも思うのは、学会批判者達の日常で、いつもいつも心の中に占めている思いは「創価学会からの〇〇…」のようです。(〇〇は色々な思い)
      殆どの学会批判ブログの主は「どうしてそんな事まで…?」と言う些細な事まで気に病んで、そしてその愚痴を発信している様です。
      学会員だった時代でもそれだけの思いで活動していたのかと言うと、ブログを更に読んでみると、さて、そうでもなさそうなのです…。
      …何だか勿体ない人生を送っているんだなあ、と感慨に耽ったりもします。

      池田先生の言葉は、やっぱり励みになりますよね。
      MonLinGenのようなこんな大した活動家でもない人間にとっても、先生の話はやはり言葉の一つひとつが心の中に染み込んできます。

      さて…何だか変なゲームにはまり込んじゃったようですね。
      悪知識的な人の話を、余り真面目に受け止めないよう、お互い気をつけましょう……(‘-‘*)

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