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リカコ…愛と怒りの池田死亡説

池田大作死亡説」と言う何気に面白げな「陰謀論」が創価学会批判者達から出されまくって、もう十ウン年…。
カビの生えて行き場の失ったそんな「妄」でも、しかし未だにそんなお話を信じ続けている「脳味噌がトランプ元大統領的」なお方が今もなおそこら当たりに存在しています。

彼等にとって、偏執狂的に「死亡説」を世の中に振り撒くその目的って、一体何なのでしょう…?
仮に池田先生が死亡しているとして、さて全体彼等にとってそれがどんなメリットがあるのでしょう…?
単なる無知蒙昧な趣味?
バカ騒ぎをしたいだけの、ただそれだけの事?

コロナ禍を含めて、一帯一路的暴挙を強引に続ける中国の独裁制や韓国との様々な問題、更には北朝鮮等々…考えるべき問題が山積みの現代世界において、何故こんな情けのない事に興味を持ち続けている人が未だに存在している言う、そのこと自体が異常な問題だと考えますが、大きなお世話?

更に言うと、「学会の全てを否定する」と言う個人的ポリシーはそれはそれで(どうでも)いいとしても、それならそれで批判者の彼等にとっても特にどうでもいいはずの名誉会長の生死に関して「だけ」、何故にこれほどの熱狂的な興味を持ち続けているのでしょうか?

リカコ…愛と怒りのブログ

当ブログ主のリカコ女史も、この「名誉会長死亡説」に対してかなりの熱狂的偏執保持者です。
記事の投稿は2013年で若干古いものなのですが、でも意気込みは2021年の現時点でも彼女の心の中にはしっかり受け継がれている、と何となく想像します…が。

〇   〇   〇

2013.6.13
2010年5月13日を最後に、オオヤケの場に姿を見せていない池田大作・・・
この件に関して、創価学会は(略)「池田先生だって、いつかは亡くなる…。そのトキ、創価学会員が困らないように池田先生は、しばらくオオヤケの場に姿を見せナイようにして…創価学会員に練習をさせてくれている」
練習って、何の練習?ナニをどう、練習すればイイの・・・?

彼女の話すこの「会員が困らない云々…」の説明は、私は聞いた事はありません。若しかして「本幹同中」にでもこれらの話が出ていたのかも知れませんが、でも、こんな「お話」が出ていたのであれば、学会員である私自身も知るチャンスはあったはず。
多分これは、ブログ主の学会での知り合いからの話だったのかも知れません。(面倒臭い、鬱陶しい学会批判的人間には、適当にこんな説明でもしておけばいいだろう、という感じの…)

彼女は元学会員だというブログの説明。
記事を読んでみても、彼女自身が学会教学や学会活動に特に興味やしっかりした知識を持っている様子は見られません。
そんな学会嫌いの人間にとって、池田大作という人間は彼女自身の人生にとっても如何なる意味も持ってはいないはずなんですが、この異常な興味の示し様は、やはりネット上での諸々様々な学会批判話のその影響なのでしょうか…。

2010年6月以降の「本部幹部会」は―(略)、いつもトリを務めていたハズの、池田大作が出て来なくなった。
その代わりに、過去の「池田大作のスピーチ」(ほとんどの会員が、数年前に見たコトのある映像)を再放送するようになった

MonLinGen自体、いつ頃から先生が本幹同中に出なくなっていたのか、もうすでに霧の彼方状態なんですが、リカコ女史はその記憶を鮮明に持っている素敵な学会批判女性です。

そんな淑女の彼女は、自身を学会批判者だと称しながらも、しかし存外な事に、彼女の心の奥の奥のその奥には、未だに池田先生を慕い続けようとう言うそんな素敵極まる求道心が存在しているのかも。
嫌い嫌いも好きの内、的な何かが彼女を突き動かしているのでしょうか…。

「「練習の為に姿を見せない」・・・なんて言っても聖教新聞でも、いまだに池田大作の写真を使いまくりじゃん。そこまでOKなら別に姿くらい見せればイイじゃん」

表面上は学会嫌いを見せながら生きる彼女。でも実は心の蓋を開けてみると、そこには絶大なる池田先生への思慕の思いが詰まっていた、と言う落ちもあり得ますが、どうなんでしょうか?
そう考えてみると、記事の中の一つひとつの言葉の意味が変化してきそうです…。

彼女にとって未だに先生への思いが拭えきれません。
せめて先生の今現在の「お写真でも」…と言う気持ちで一杯。
その思いが強すぎて、こんなあまのじゃく的なお話を思わず書いてしまったという、そんな二度目の落ち…。

やはり、彼女にとって池田先生は、学会指導通りの心の師匠だったのでしょうか?
謎は謎を呼び続けます (‘-‘*)

まぁ、普通に「道理」で考えて・・・2010年5月13日の「本部幹部会」以降に急に倒れたけど・・・回復せずに「2011年・冬に死去した」って言っちゃえば、諸々の件に関してもツジツマが合うんだけどね」

などと学会批判者的にお話を続けていますけど、これも彼女の学会への想いが強烈すぎたための失敗談?

彼女の話す「道理」ですが、先生は今後の学会活動は後継の人材に全てを任せる、と言う話をしました。故に、現在もその考えで動いているだけという「普通に道理で考えて」特に違和感のある現状ではないものなのですが、やはりというか彼女の思いが強すぎて、そして思わぬ批判的な記事になってしまったという、そんな三度目の落ち…?

学会批判者気味に死亡説を振り回しながらも、何処か寂しげなリカコ女史です。
先生の「死亡説」に対しても、やはり自分自身割り切れないモノを感じている彼女なのでしょうか…。

2013.6.13
2010年5月13日の「本部幹部会」を最後に―オオヤケの場に、姿を見せていない「池田大作」
じつは、その時点で突然、倒れて・・・その後、回復するコトもなく・・・2011年・冬に死亡。
池田大作にイジメ抜かれていた、秋谷栄之助(5代目会長)がすぐさま(2011年・冬)創価学会を脱会した。(略)池田大作が「昏睡状態」になった時点で退会できたのでは・・・との声も、挙がっていたけど

この「お話」も不思議の国のアリスです。
一体全体学会批判者の「誰が」、先生のその「昏睡状態」を「実際に見た」と言うのでしょうか?
自身の目で見て「これこれこうだった」と言う話であれば兎も角、今まで色々な学会批判記事を見てきたMonLinGenですが、そんな「体験談」を読んだ事もウワサ話も聞いた事もない訳で、さてそんな不確か極まる「Qアノン話」に飛びつく頭の足りないバカな人間が、この世の中にただの一人でも存在しているのでしょうか?

……あ、失礼。ここに居ました、リカコさん。

ま、それは兎も角、「退転」は誰にでも起こり得る現象です。例えそれがどんなに上層部の学会の幹部だとしても。要するにこれが「三障四魔」の恐ろしい処なんですが、そんな事実など知った事か!池田大作死亡説は絶対に正しいのだ、と無理矢理感の強烈な彼女。
学会好きの自分の気持ちを素直に表せない、うぶな彼女です…。

池田大作は、自分が死んだあとも「永遠にキーパーソン」であり続けたいから「永遠の師匠は3代目(池田大作)まで」・・・と言う会則を作っちゃったけど、具体的には、どうするの。どうにも、上手く組み合わせるコトが出来ないパズルを残して・・・池田大作は、地獄へ旅立って行った」

彼女はとても心配そうです。池田先生が死んだ後の学会の在り方が一体どうなっていくのか…。
でもリカコさん、例え池田先生が亡くなっても大丈夫ですよ。

牧口先生亡き後は、戸田先生が引き継ぎました。
戸田先生が使命を果たし終えたその後は池田先生が後を継ぎ、そして今現在の世界の創価学会の基礎が先生の指揮の下、しっかりと構築されつつあります。
学会の強さは、後継の人材の豊富な事だと考えますが、リカコさん安心しました…?

〇   〇   〇

2013.10.9
今年のノーベル平和賞、受賞者は10月11日(金)に発表される。
ノーベル平和賞は、存命の人にしか贈られない・・・
池田大作は、2011年の秋に、死んでいるけど、創価学会は、まだその事実を公表せず機関紙を通じて「池田先生は、お元気です」などと創価学会員に伝えている。
(略)そろそろ、(池田大作死亡を)発表してもイイんじゃない?創価学会の組織内では、そんな気運が高まっているかも…

リカコさんは、池田先生に是非ともノーベル賞を取ってほしいと気をもんでいます。
ノーベル賞そのものは世界的に権威のある賞だと言う事は確かだとしても、でも先生はそんな事にこだわるチンケな人間ではありません、ご心配なく。
先生の興味の対象はたった一つ。創価学会がこれからもずっと後継の人材を輩出する正常な組織であり続けていく事、ただそれだけなのです。

学会家族の平凡な(つまり学会信仰を普通にしっかりと貫いている)人達にとってもそんな受賞云々の心配などしている人は、極々一部に限るはず。
我々の問題は、聖教新聞や大百蓮華等での先生の指導をしっかり自身の信仰で受け止めながら、如何に自分自身を変革していこうかと言う事だけ、それだけが学会員としての興味の対象なのです。

リカコさん、無意味な事に心を注ぎ込まないで、立派な学会批判者の道を突き進んで下さいな。
それが我々学会員から話せる最後のはなむけの言葉です。

因みに先生逝去の時は、学会本部からはっきりとしたその旨の連絡が我々末端の学会員まで届きますから、更にこの件もご心配なく。
…あ、リカコさんには届かないか…更に失礼しました(‘-‘*)


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