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ネット学会員の虚像と実像ーⅡ

ネット学会員の虚像と実像ーⅠ」よりの続きです。(以下のブログが今回の対象です)

 真偽を見極める(by芝 薫)…ネット学会員の実像
(※「真偽…」がサイト名で、「ネット学会員…」がカテゴリー名になります)

※   ※   ※

では、ここで、ネット学会員の1つのサンプルとして、具体的にブログを見てみよう。
例えばこのブログ
↓ ↓ ↓  
『MonLinGen』

彼はこう続けます。
記しているドメインは、私のミスで消えてしまった過去のMonLinGenのアドレスですので無視して下さい。

さて、彼の私に対する第一声の評価は「上から目線の井の中の蛙ブログ」となります。
まあ、身に余る素敵なご感想…♪

〇   〇   〇

このブログを簡単に形容するなら、自信満々、余裕綽々の雰囲気を漂わせ、上から目線でアンチを見下しているカルト感丸出しの、思い込みの激しい井の中の蛙ぶりが半端ないブログだと言える

私がMonLinGenで批判を書くとき常に気をつけている事があります。それは、彼等学会批判の在り方や考え方の「瑕疵や悪意の勘違い」をピックアップし、同時に何故それが彼等の単なる中傷や偏見でしかないのかの「理由」を記載し、更にそれに対する私の考える「論理的な反論」と、その事に関する現実の学会での「事実」をそれぞれ平行して記載する、と言うそれぞれの努力です。
勿論、記事の全てでの全面的な対応はなかなか無理何体な処もありますが、しかしその努力は常に気をつけてやっている事は確かの事です。

井の中の蛙」と言うフレーズは、私自身が学会批判者に対して使用していた事実もあります。しかしこれも、何故彼等が狭い「井の中」に住んでいるのかのその「理由」についても、同時に記載しています。

それらの私の批判に対しての「自分の考える反論」を書いて、その上で中傷文を書くのなら兎も角、単に憎まれ口を叩きたいだけの、ただそれだけの為にこの程度の悪態を喚き散らし回るのは、これはどう考えても間違っています。
これは理論的な批判ではなく、単なる感情論でしかありません。

また、「自信満々」とは、確かに批判者への私からの「」としての逆批判ですので、当然自身のその論理に対しての自信があるのは当然の事です。「満々」までは兎も角ですが…。
が、「カルト丸出し」と言う言葉にどんな意味があるのかはちょっと想像し辛いところがあります。私の学会批判者達に対しての批判が何故の「カルト的」なのかの理由が全く記されていませんし、そもそも論として「カルトの定義」と言うものが何処にも書かれてもいません。
理由」のない批判は単なる感情論的放言でしかないと思いますが、どうでしょう?

批判者の責任として、本来であればこの文章のフレーズはこう言う理由で明らかに間違っていて、理論的に考えればこれこれこう言う事になるのでは…的な話に持っていくべきなんですが、彼は批判者のその責任を完全に放棄し、自分の思いの丈だけを記事の中に無意味・無責任にバラ撒いています。
これが芝氏の言う「真偽」を追求する態度なのでしょうか……。

そんな学会活動に殆ど関わってないような、非活程度の者が、どこまで創価学会を知っていると言うのか?
創価の裏まで知っている広宣部に所属していた事があるというのならまだしも、そういう事もないようだし、そんなどこにでもいる普通の学会員が、創価の全てを知っているかのように発言するのは甚だおこがましいというものではないだろうか

芝氏は、私をミカツ又は非活の人間だと決めつけています。そして、その程度の人間が学会の一体何を知っているのかと言う論難を投げかけます。
しかし逆に言うと、彼自身は私の、さて一体全体何を知っているというのでしょう?逆にそれを聞きたくなります。
…が、この問題はパートⅣでより詳しく説明しますのでこれ以上は省きます。

彼の考えでは、創価学会を擁護するには学会の「裏の裏」まで知っているべきだ。そうでない人間はその資格は一切持っていないと言う事らしいのですが、しかしそうなると、彼とそして学会批判者達に対しても同じ事が要求されるはず。
芝氏は果たして、創価学会批判者たり得るだけの「学会信仰の知識」を持っているのでしょうか、それが問題です…。

学会信仰の簡単な知識をここに記しておきます。これ等の知識や経験は、普通の学会活動者であれば誰もが持っている、そんなオープンワールドな信仰上の知識です。
分かり易いように平易に記します。(学会批判者が読んでも理解出来るように)

  • 問題が起こる
  • 題目をあげる
  • 御書、先生や学会の指導を読み込む。で、そして題目に挑戦
  • 問題がこじれてくるかも知れない。しかし、更に更に指導を読み、そして更に題目
  • 限界が近くなってくる。しかし、負けずに題目をあげ続ける
  • 更に更に、自分の限界が間近にきているような気もしてくる。が、それにも負けずに学会信仰を貫いていく
  • 何となく目の前が開けてきたような、そうでない様な気がしてくる。もう一度基本に戻って更に更に、そして更に題目を続ける
  • 突然か徐々にかは別として、問題が解決、又は別の光が見えてくる。更に題目
  • 一つの問題が自身の中で完全解決をみる。…そして、感謝の題目

普通の学会員であれば、1~9迄の話は常日頃普通に体験している、信仰上での活動知識です。

で問題は、学会退転者(覚醒者)全て、太文字にした5~7番目の「問題がこじれてくる」と言う時点で、いとも簡単に退転を選んでいる事実がある事です。この「こじれ」とは「三障四魔」と言う言葉で呼ばれている状況で、信心が進めば進むほどこの手の障害が起こり続ける事になります。
退転者にとってこの言葉は、見た事も聞いたこともない様なのですが、活動している普通の学会員にとっては体の隅々にまで行き渡っている指導、そんな言葉(信仰体験、又は実践の教学)ですので、そこで更に更に頑張って信心を貫き通す訳です。

三障四魔の行動に関してのこの知識は、有名すぎるにもかかわらず、学会批判者の間には言葉の意味は勿論の事、言葉そのものすら「要拡散」していない状態です。
不思議な現象ではあります……。

学会信仰の裏の裏の知識とは、上述したように「三障四魔を乗り越える信心」の言葉を知っているかどうか、そして更に話すと、自分自身が三障四魔を経験し、そしてそれを信心で乗り越えたかどうかと言う事を言うのです。

さてこう考えてみると、果たして芝氏はこの学会員共通の知識「三障四魔」という言葉とその意味について、本当の本気の真実的に知っているのかどうかの疑問が沸々と湧いてくる事に気付きます。
現実の話、少なくとも彼のこのサイトには「」の文字さえ見つかりません。
彼は果然、基礎的な学会の知識を持っているのやらどうやら…更に疑問符の雨がザワザワと…。

これは重要な開放的門外秘の話ですので、更に同工異曲的に再表現してみると、「学会信仰」とは、日蓮大聖人の教義(学会信仰)を実践して「功徳の体験」を受け、そして自分自身の変革(境涯革命)を目指すと言う事です。で、その変革を日々続けている人間のことを「創価学会員」と呼ぶのです。
単純に話すと、学会信仰の知識の有り無しとは、唯それだけの事実を知っているかどうかなのです。

サイト主の彼・芝氏はこれらの知識を持って記事を書いたり学会擁護の批判をしたりしているとは、残念ながら到底思えません。何の知識も持ってもいない、更に言えば知ろうともしていないそんな「学会ド素人」が、一体どんな理由で彼自身もよく理解出来ていない記事を書こうと思ったのか、そこに不思議さを覚えるMonLinGenなのです…。

若し学会を批判しようと考えるのであれば、学会系のサイトやブログ、更には先生の書籍類を読みに読みまくった上で自分の考えを纏(まと)め、そして行動に移すべきだと考えますが、さてそんな忠告話は非常識……?

果たして創価学会が嫌われているのは誤解によるのだろうか?単に誤解されているだけでこんなに嫌われているのだと思っているこのブログ主の能天気ぶりにまず驚いたものである。
そして誤解さえ解ければ、世間から「創価学会は素晴らしい団体だ」という声が聞けるとでも思ってるのだろうか?
本当にそう思ってるのだとしたら、このブログ主、かなりおめでたい人物と見える

これは古今東西全ての世界によく居る悪意のある人間の持っている「特徴」だと言えます。どんな正当な主張を行っても、その話の趣旨を無理矢理にねじ曲げて解釈してしまうと言う、そんな人種の言葉です。
まあ、これが現世の「実相」なのでしょうか。

芝氏の考えでは、学会が嫌われるのは単なる「誤解」(ボタンの掛け違い)ではなく、カルト組織故の「事実」を元にしたものだと言う事です。

誤解」とは善意の解釈では、情報を受け取る側は文字通りの善意で受け取りながら、しかし何処かで行き違いや間違いがある事をそう呼ぶのでしょうが、しかし芝氏のように学会の何も知らない人間が学会信仰の妙義を聞き流して、自分の狭苦しい境涯の内だけで曲解をしまくり、そして更には他の学会批判者からのMCも受けまくった結果、どんな間違った酷い学会観になってしまったのかを考えると、彼の「誤解」の意味が限りなく不透明なものになってしまったかを思い煩ってしまうのです。

〇   〇   〇

彼はMonLinGenブログの中の「何本」の記事を読んで、こんな記事を書こうと考えたのでしょうか?
果たして、「何行」の文字に目を通したのでしょうか?

繰り返しになりますが、MonLinGenの記事全てには、学会批判への事実確認と、その論難に対するそれぞれの証拠を記して、それを元に逆批判しています。少なくとも、大半の記事はそう言う流れで綴ったものです。
その事実を完全に無視して、何故のこの彼の論難なのか、そこも理解出来ない彼の在り方なです。

…「ネット学会員の虚像と実像ーⅢ」に続きます

2件のコメント

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