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学会批判者の「末路」を、ちょいと考えて見る

「創価学会を離れて、もう10年以上、、。学会でよくいわれる、(退転すると)(を受ける)などというものもなく(退転者の私は今も)普通に元気に生きてます(笑)
学会を離れたら、うまくいってる自営の仕事もいつかダメになる、と脅しともとれることをいわれましたが、(全然そんな事もなく今は)順調にやっています」

などと嘯(うそぶ)く一覚醒者さんの、何気ない一言。
いつもの、例の如くの「退転した瞬間」の出来事を、とても楽観的に切り取って自己評価を行っています…。

はあ~疲れるよ、創価学会普通に生きています

彼女は学会退転者の例に漏れず、信仰の功徳というものを「時間の推移・結果」として考えていません。あるのはただ、或る時間のたった一コマに対しての話のみ。
そんな例の如くの学会覚醒者さんのブログから、一つ二つのお言葉を頂戴致しました…。

〇   〇   〇

「だって(私は人生を)一生懸命、必死に少ない脳みそフル回転させて頑張ってますもん。
(自分の生活の在り方は)学会(信仰と)(一切)関係ありません!」
「時々、ラジオから「そうかがっか~い」といってるCMを聴くので、おお、相変わらず学会員からの財務をラジオCMにふんだんに使ってるのね~と、思うくらいです」

ここにも、その他大勢の学会批判者からの洗脳を受けまくった人間がいます。
いい加減に何とかならないのでしょうか…、学会員は「財務を学会本部からむしり取られている」という情け無い「ウソ話」数々の拡散行為。

退転したという後ろめたさを何とか薄めようとして、兎に角その原因は自分ではなく、全て創価学会と言う組織のカルト性なんだと決めつけたいと考える気持ちの、その不純さ…。
退転すること自体は個人的には特にどうでも良いことなのですが、何故その事を他人のせいにしようと考えるのか、そこが理解不能。
自身の学会での頑張りが全く足りなかったから、だから途中で信仰を放棄したんだと言う潔(いさぎよ)さが、ほとんどの学会退転者にはありません。

兎に角ウジウジと、誰それが悪いから自分がこうなったんだ……、と言う情け無い言い訳ばかりがネット上には広がっています。
そんな学会退転者の人生って、本気で哀れむべき存在でしかないと改めて思ったりもします。

年老いた活動に熱心だった母だけは今だ(に)聖教新聞を複数購入したり、財務したりしてるようですが、、」

そんな敗残者の彼女も実の母親には、普通の肉親に対するのと同様の好意を寄せてはいます。
でも、それでも学会員に対しては蔑視という表現が合っているような評価もしていますが…。

「もうこの年代の(母のような)学会員は、(創価学会からの)洗脳から解けることはないのだろうとあきらめてます。
(母が)逆に今、創価学会を否定してしまったら一気に弱ってしまうんじゃないか、と、、、」

学会批判者からの「洗脳」を手一杯受けた洗脳者の、普通に頑張っている学会員へ向けてのこんな言いぐさです。

学会批判者が、何故その他の大勢の学会批判者から洗脳を受け続けているかの問題は今更改めての開陳(かいちん)をするつもりはありませんが、やはり考えるべきは彼等の意識の低さです。
思考力の浅さとも言えるでしょうか。

彼等学会批判者は、信仰の、あるほんの一部、更には極々一時期しか見ようとしません。全体像を考える想像力が欠如しているのです。
創価学会信仰生活のあれこれを、自身の偏見感と都市伝説観の上に立ちながら、そして自身の視野の狭さを棚に上げながら、上の様な感じで偉そうに評価するのです。

しかし、戸田先生はこうはっきりと言われています…。

信仰の結果は、その人の人生の終盤になって初めて分かるものです」(要約)

学会信仰の途中経過などは、はっきり言ってどうでも良い話なのです。
人間の人生で浮き沈みがあることは、仏教徒でなくとも誰もが当然の話。
その中で一体何を人生の最終章までしっかりと続けていったか、それが本気の大事な話なのです。

そんな最大事な信仰の事も知らない当ブログの彼女は、最後にこんな話題を出してきます。

「あまり活動してなかった男子部員が、一年前くらいから積極的に活動するようになったらしい。
(そして)その男性が、ガンになったそうです。
ガンを克服するため、彼は一層活動に励んだそうですが、残念ながら亡くなってしまったそう」

 これはよくある学会員の話です。
でも、彼女はそれに対してどんな感想を持ったのでしょうか…。

そして、母の一言、、「もう少し早く、学会活動してたら助かったかもしれない」
もし彼がたすかっていれば学会のおかげだ!功徳だ!」て言うんですよ。
どのくらい学会活動すれば、彼が助かった、というのでしょう。
一事が万事、学会員はこんな感じですよ、、」

 学会の信仰をされている人も、当然のこと生老病死は免(まぬが)れません。
その当たり前の事実を、無理矢理にでもひん曲げるようなそんな話の持っていき方をする当ブログ主さん。

百歩譲って、彼女の話の中のお母さんの言葉「もう少し早く活動していれば…云々」の非難を受け入れるにしても、これとても本当にそうなのかは、男子部さん当人の「活動をしての最終的な結果」を見ることが事実上不可能なわけですから、彼女の話も結局不確かそのものの「お話」となっています。

〇   〇   〇

そう言う意味では、学会の信仰の「最終形態」と彼女達退転者の「末路」も、傍目から考えるとドッコイドッコイに見えそうです。

しかし認識すべきは、学会信仰真っ当者の老後の話は、かなりの数の事実が聖教新聞やその他の記事として残っていますけど、でも退転者の末路については誰も語ろうとはしていませんし、現実としてその事実は残ってもいないようです。

さて、この事実は一体どういうことなのでしょうか……。


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2件のコメント

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