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スピリチュアリストが創価学会を語る

スピチュァリズム」と言う運動が存在しています。「心霊主義」とも言われていて、「霊魂」の実在を認め、その上に立って人間の世界を云々する、と言うそんな思想です。
この手の考え方は、洋の東西を問わず古今から存在したもので、現在の日本でのスピチュアリズム運動は、19世紀のアメリカの「霊魂との交霊」運動が原点となっている様です。

彼等は自分達の思想を、「宗教の上位に位置」するものと考えています。
自分達の信じる「最高級霊」から較べると、世に様々に存在している数々の宗教運動など「低劣」そのもの…と言う、ある意味切って捨てたような物言いも見られる記事も、多々…。

そんなスピチュアリズム運動に荷担するあまたのブログの中で、スピチュアリストから見た創価学会…と言う、少々興味深いものを見つけました。

スピチュアリズムから見た創価学会

当ブログ主は最初に創価学会をこう言いきります…。

何かと話題になる宗教団体「創価学会」。世間からはかなり嫌われている団体のようだ

大上段から振りかぶったような物知り的な言い方。さて、彼の「持論」の行方、「正当性」は如何なるものなんでしょうか…?

〇   〇   〇

更に彼は学会の話を続けます…。

そのような創価学会をスピリチュアリズムの視点から見たらどうなのか。というのが本サイトの趣旨である
創価学会によれば、この世があくまでも本国土であり、本当の世界であり、あの世は仮の世界なのだそうで、創価学会によれば、あの世には霊界とか天国とか極楽とか地獄とか、そういう世界はないのだという。
天国も地獄もあの世にあるのではなく、この世の現実の人生にあるのだという

これは戸田先生の「生命論」を記したものですが、特に捻(ひね)くれた解釈も入れずに正当な記述をしています。
記事全体の雰囲気を見てみても、ブログ主の知識の多さ、公平感は感じられるものとなっていますので、個人的には好意的なものを感じます…。

さて変わって、次の文章が「心霊主義の生命観」(中心思想)になります…。

スピリチュアリズムではあの世に霊界があり、そこでは霊魂は霊魂のレベル(霊格・人格)によって階層化された世界に分かれて住んでいるとし、あの世こそが真実の世界、本国土であり、この世は魂の修行の場としての仮の世界に過ぎないとしている。
あの世が真実の世界なのだから、真の幸福はあの世にこそあり、この世の幸福などはあの世での幸福には及ばないとしている

ブログ主の主張では、上述の自分達の信じる哲学・思想が正しい訳で、この心霊観からすると創価学会の「現実主義」は間違っている、と言う話になります。

学会の「現実主義」とは、ブログ主の批判する学会における「現世肯定主義」を言います。また、「功徳主義」も意味しているとも解釈も出来ます。
彼「心霊思想絶対主義者」から見ると、創価学会の活動全て(折伏、新聞啓蒙、政治への参加、平和活動等)が「世俗主義」そのもので、世の批判を受けるのは当然だと言う事です。

根本法と合致した生き方とは、日蓮が宇宙の根本法を形として顕わしたという本尊に向かって「南無妙法蓮華経」という法華経の題目を唱える事なのだという。
その実践によって、各人の生命に内在している仏界という最高の生命の境涯が湧現して崩れない幸福境涯になるのだという

この説明は、学会の信仰活動を非常に巧く説明しきっているようで、感心することも。
しかし、如何せんそうは言っても、彼は外部からの学会信仰の単なる「つまみ食い者」でしかなく、日蓮信仰の「本源」には触れることも、また垣間見ることも出来ていません。

創価学会の教義を見てみると、法華経と日蓮の教え、その中でも創価学会を信じて実践しなければ幸福になれないという主張のようだが、これらの主張には創価学会という狭い世界観しかなく、どこにでも通じる普遍的な思想というものがない。
要するに創価学会を離れて幸福はないと言いたいわけで、商売人的発想しかないようだ

創価学会は「俗世間主義」故に、結局全ての活動は「商売人的発想」からしか出ていない、と言うブログ主の彼の創価学会への「結論」です…。

上述のような詳細な学会信仰の調査の上からのものではなく、又聞きの又聞きの…更に他人のブログからの転載、というような感じのものなら、この手の主張は他でもたまに見ます。
しかしブログの彼は、学会教学を非常に勉強している様に感じます。

ですが、それでも結局上の様な「中途半端な結論」にしか到達できていません。
…惜しい話だとも言えます。

何故か…。
そこには心霊主義と仏教との「穢土観・現実観」(この世の在り方)の決定的な開き、と言うものがあるようです。

スピチュアリズムは、仏教で言うと「念仏の浄土観」だと言えます。更には「心霊中心」と言うことを考えると、禅宗における「自分の心中心主義」とも言えそうに感じます。
これは要するに、日蓮仏教の「大乗教観」からすると「小乗経観」的思想だと断言できます。

これは簡単に言うと、「民衆を漏れなく救おうという考え方」(大乗思想の四弘誓願)と「自分一人だけ救われればよい」(二乗的根性)と言う考え方の違いになります。

またスピチュアリズムの、この世は仮の姿、そして心霊世界が本当の世界と言う考え方は、「現実世界の放棄(または逃避)」という思想になってきます。
どんなに「今の自分(や社会)」が辛くても死ねば何とかなる訳だから、この世で頑張ろうという気持ちにはなり得ません。(現実での「修行」と言う考え方もありますが、それは今は取り上げません)

故に今生きている現実社会をより良く変革しようという感情も生まれません。
これは念仏思想、そして禅宗思想に共通する世界観だと言えます。

霊世界中心」の考え方とは要するにそういうことなのです。

また、下記のブログの彼の法華経批判も、上の現実感覚の無さの延長から来ています。

それに文献学的にも法華経は釈迦が実際に説いた経典ではなく、後世の創作だということが近代の仏教学の研究で分かっているのだから、その法華経を信じたからと言って幸福になることもないし、ましてや過去世で法華経の悪口を言ったとか背いたからといってそれが原因で不幸な人生に生まれ変わってくることなどあるはずもない。
こんなことを言っているようでは「科学的な宗教」などと誇っていてもただの迷信信仰だと批判されるだけでしかないだろう

大乗非仏教説」のスピリチュアル版とでも言えそうな、法華経批判となっています。
これは、仏教を「発展思想」とは見ずに、固定的な小乗教的感覚からの偏見的な仏教批判だと言えます。

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宗教というものは確かに最初は高級霊からの啓示を受けて始められたものだが、しかし、それを運営しているのはあくまでもこの世の人間であって、神や高級霊が直接運営しているわけではない

彼は、世に存在する「全ての宗教」の首根っこを捉(とら)えながらこう言い切ります。
あらゆる宗教の根本に存在するものは「高級霊」なのだ、だから自分の話すことは絶対的に正しいのだ…と。

創価学会に関わっていると、波長導通の法則により、低級霊の世界へと心がつながってしまうことになるだろう。
創価学会はスピリチュアリズムの立場から見ても、関わってはいけない団体だと言えよう

自身の生きているこの現実世界を完全に無視して、浄土の世界をのみ夢見るスピリチュアリストの彼等。
しかし、彼等も当然の如く「この現実の中」で今現在も生活しています。
どんなに否定したとしても「生老病死」は彼等の上にも襲いかかります。
それが当に「現実」なのです。

その現実を真正面から「受け止め」、そしてその辛い現実の自分を、一体どうやってより良い方向に変革していくことが出来るか、その「解決策」というものが彼等の信奉する「心霊主義的思想・哲学」の中に果たして備わっているものなのかどうか…。

彼等の言動を見ていると、どうにも歯がゆい思いが抜けきれないのは…若しかして大きなお世話なんでしょうか……。


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